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始めた催しをほどほどに止める考え方

「こういう考え方もあるよね」と共有できると、意思決定しやすい場面もあるだろうと思って書きました。

組織やチームにおいて、明確に言語化されていなくとも、何かしらの機運や課題感が積もっていくことはしばしばあるのではないでしょうか。例えば半年とか1年とかかけてじわじわ積もっていくので、なかなか明確化されない、公式な課題として採り上げられない、といったことです。

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積もった結果、どこかで臨界点を迎えて、課題解消に向けて施策が検討され、導入されたりします。待ち望まれたことなので、最初のうちは好評を博します。「今日の○○会、よかったー」「そっちのチームで最近始めたやつ、聞かせて聞かせて」という時期。いい感じ。

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ところが中には、次第にだれてくることもあります。だんだんとネタや議題の枯渇感が出てきたり、惰性で続けてる感が出てくる。「これの目的ってなんだっけ?」という声が挙がり始める。

この状況自体が新たな課題にも見えそうですが、立ち返ると、元々積もってた課題感が施策によって思いのほか早く解消したから、という見方もあるのではないでしょうか。

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始めたことは止めたって良いという見方を受け入れる

こういう時、「単純に止める」という選択肢を視野に入れることも大事ではと考えました(普通と言えば普通のこと)。

「廃止」ってネガティブに捉えられがちな面もありますが、必ずしも悪いことではないはず。テーマによっては、機運・課題感が積もるペースと施策によって解消するペースがかなり非対称なこともあるはずです。そのため、最初の数ヶ月、ひょっとしたら数週間とか一回だけの催しによっていったん落ち着いちゃう事象もあろうと。

ものによってはですが、時には止めることを決断できないと、年々、施策だらけになってしまいます(仕事以外の場でも、集団によってはこういうこと起こりがち)。だから、「止める時は止めるのも手だよね」という共通認識を改めてもつことは意味があるはずです。

何かを止めた分、また別の何かを始めてもよいのです。時間軸に対して先述のような非対称性をもつ類のテーマに関しては、かわりばんこに色々やるアプローチもあり。

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将来またやってもよい

また、一度何かを始めて、やがて止めたテーマに関して、「将来再燃してきたら、その時にまた手を打とう」という見方もあってよいと思うのです。施策を続けるにもコストがありますし。

この見方が無さすぎると、例えば、「うちの会社、数年おきに思い出したように何かの一斉教育とかやるよね」といったネガティブな見方しかできなくなります。

「将来またやる」は、長期的に見れば、大切なことを継続的にやっているとも考えられます。

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