オタクコンプレックス

私は「どちらかというと」オタクと呼ばれる人種なのだろうと思います。アニメや漫画が好きな人のことです。(アイドルやスポーツなどが対象のオタクもいますが、今回はアニメや漫画が好きな人、とします。)

好きな漫画作品や小説があり、その中でも特に好きなキャラがいて、行間やコマとコマの間や描かれない空白の時間を妄想して楽しんだり、極たまに文章に書き起こして同志であるファンの方に見て頂いたり。

けれど私は世間一般でいう「オタク」ではないと思っています。流行りの作品を追いかけていないし絶対通るべきと言われる所謂名作のほとんどは見たことがありません。好きな作品は一ジャンルとして確立されているのかも怪しい、マイナーofマイナーなものばかり。好きなアニメ作品はジブリ作品全般です。けれどジブリだって何度か繰り返し見る程度で、そんなに詳しくもありません。

アニメや漫画が好きな人々を称する「オタク」という言葉に、私は少しだけコンプレックスを感じながら生きています。

オタクだと胸を張れるほどの知識も熱量もない私は、オタクを自称する方を見かける度、ひそかな憧れと羨望を抱きます。どこからがオタクかなんてそんなボーダーラインは存在しないと言われるかもしれませんが、私は自分がオタクと呼ばれる領域に達することはできないと思っています。

オタクって才能なんです。すごいエネルギーを持つ人々なんです。

作品は描かれていることが全てです。それをそのまま受け取ることはそう難しいことではありません。ああ面白かったね。そんな感想ひとつ浮かべて、それで終わったっていいんです。でも、オタクは違います。作品の裏で作者が投げかけたことを丹念に拾い上げ、伏線とその回収の手際の鮮やかさに感嘆し、推しの一挙手一投足に一喜一憂し、アニメであればopやedにも注目しそれを作った人の意図を読み解き、作品を最後の一滴まで残さず味わうのです。

まさに感受性の豊かさの極み。

それをオタクはいとも容易く、とても自然に行うのです。そこにかける熱量の凄まじさに、ただただ圧倒されるばかりです。

私は好きな作品があります。好きな作者さんがいて、作品を好きな同志の方もいて、それぞれの好きポイントを語る時間が大好きです。ストーリー展開に一喜一憂し、描かれない空白を妄想し、極たまに文章にしてみたりします。でも、そこにあの凄まじい熱量はありません。オタクなの?と尋ねられたら返事に大層困ります。やっていることは傍から見ればオタク活動なので否定はできませんが、私は自分はオタクになりきれていない中途半端な奴だと思っているので肯定もできません。

それでいいじゃないか。と半ば開き直ったような気持ちで思うこともあります。無理にオタクになりきらなくても、上手な文章が書けなくても、私が楽しければそれで良い。

けれどやっぱり私はオタクの、あのきらきらした熱量に、憧れを持ち続けているのです。




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