#01ナビック創業までの歩み
初めまして、株式会社ナビック代表の高津です。
本日より公式noteをスタートします。これから私がナビックをスタートした理由、そこまでのストーリーについて何度かに渡ってお話していきます。
改めまして、高津智仁です。
まずは長年通信事業に携わることになったきっかけについてお話したいと思います。
大学時代、当時としては珍しく海外とやり取りをする機会がありました。海外ではメールでのやり取りが主流になっており、どんどんメールが届く事にとても驚きました。
当時、参加していたサークル活動の情報交換にメールを活用しようと思いました。ノートにメールアドレスを書いて仲間に渡したのですが、周りにはメールを使っている人がおらず、結局誰からもメールは届かないまま自宅に電話が掛かってくるという状況でした。
「せっかく便利なものがあるのにもったいない」と思い、この経験を機に「インターネットを日本に根付かせる為に何かできるのではないか」と考えるようになりました。
当時、インターネットを利用する為には高額な市内通話料金を払う必要がありましたが、市内通話が0円だったアメリカを手本に、日本でもその環境を作りたいと思いました。
その為にはまず、電話の仕組みを理解し改良する仕組みを学ぶのが良いだろうと考え、技術者として日本電信電話株式会社(NTT)に入社。入社面接では、「市内通話0円を目指す!」と述べたくらいです。もともとモノづくりが好きで、入社後はエンジニアとして電話の交換機の通信ソフトの開発をしていました。
その後、ADSLが登場。しかし、ADSLを利用する為には電話の交換機に機能を追加する必要があり、私はその事業にに携わっていました。
結果、ADSLの登場により、0円ではありませんが固定料金でインターネットが利用できるようになったわけです。
その後、ADSLの会社である株式会社アッカ・ネットワークスに転職。
その頃は携帯電話の全盛期でしたが、当時携帯電話でのネット利用は非常に高額でした。しかし私は、「いずれ携帯電話でもインターネット接続は安くなる」と考えていました。
有線がインターネットへ常時接続に移行したように、無線でも同じ事が起こると思っていたので、アッカ・ネットワークスでは「無線インターネットを根付かせよう」と商品企画に奔走しました。当時、WiMAXという無線技術が出現したため、そのWiMAXでのインターネット接続事業を立ち上げようとしたのです。
残念ながらWiMAX事業には国から事業免許を取得することが必要でしたが、その免許を取得することができませんでした。
その後、紆余曲折を経て2013年にナビックを設立。
気付けば30年、この業界で取り組んでいます。
実現したい事は変わらず、「より安価で高速な通信環境の提供」です。
今も取り組んでいる途中ではありますが、今回はここまででナビック創業までの話をお伝えしたいと思います。
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