大谷がホームランを量産している今こそ、グレートジャパニーズスラッガー松井を考える。
現地7月7日のレッドソックス戦、大谷は左腕E・ロドリゲスの内角のチェンジアップに対し腕を畳みながらライトスタンドへ今季32本目のホームランを放った。2004年に松井秀喜が記録した31本上回り、これまでの日本人としてのMLBのシーズン最多記録の更新である。
ここ10年、MLBで活躍する日本人選手は岩隈、黒田、ダルビッシュ、田中など投手中心であり、野手が結果を残すことが難しくなっていた。
というのも、この期間にMLBの野手は非連続的に進化した。
もともとのバッティングのパワーはもちろん、守備力や走塁も数値評価できるようになり選手評価で重要視され、フィジカルに優れたアスリートだけが生き残るようになった。
ますます日本人野手との差が広がっていったのである。
しかし、そこに現れたのが大谷である。
大谷は、諦めかけていたパワーヒッターとしての日本人のアイデンティティを呼び覚ましたのと同時に、イチローがジョージ・シスラーを生き返らせたように、かつて毎朝、ニューヨークから我々のアイデンティティを満たしてくれたスラッガー松井秀喜を改めて思い出させてくれたのである。
32号を放った大谷に対して、松井は「彼こそが真の長距離打者」とコメントしたが、団塊ジュニア世代にとっての王貞治と長嶋茂雄、40代、50代にとっての原辰徳のように、僕にとって松井はハートアンドソウルの長距離バズーカである。
もしかしたら今の大谷世代やそれより若い野球ファンの中では、松井はワールドシリーズMVPをとったもののヤンキースでコツコツと頑張っていた玄人好みの選手かもしれないし、メディアでもそのように扱われている気がしている。
ただ、僕にとっての松井秀喜は破壊力抜群で規格外のモンスターのままなのである。
松井は、高校3年の夏の甲子園で前代未聞の5打席連続敬遠によって伝説となり、その年のドラフト会議でミスタープロ野球シゲオ・ナガシマ(後のジャイアンツ終身名誉)監督が4球団指名の中、クジで交渉権獲得、という最高のストーリーでジャイアンツに入団。
1993年から10年間在籍したジャイアンツでは通算332本塁打、本塁打王3回、MVP3回、オールスター出場9回という輝かしい成績を残し、2003年にメジャーリーグ・ヤンキースへ移籍。
ヤンキースは世界の中心ニューヨークを本拠地として、MLBで最多のワールドシリーズ優勝回数を誇る世界中のベースボールチームの頂点なのだけど、移籍当時は既定路線だと感じていて誰も驚かなかった。
なんてったって、松井は世界に恐怖を与える永久不滅のグレードジャパニーズスラッガーなのだから。
今回は、改めて松井がいかに当時の僕を熱狂させていたかを伝えたい。
求められたジャイアンツの四番打者
松井のすごいところは、“四番1000日計画”という国家戦略のもと、将来のジャイアンツの四番になることを期待されて本当にその通りなったことである。
しかも満場一致で。
今でもジャイアンツの四番になると、第○○代四番打者なんて言われる名誉あるポジションであるが、当時のジャイアンツの四番は別格で日本国民の象徴だったのである。
20年前、30年前なんて(もちろんボクが小学生くらいだったてこともあるけど)、“価値観の多様化”などという概念は存在しなかったと思う。
アイドルといえばモー娘。くらいで日本全国で数えても48人もいなかっただろうし、歌番組とレコード大賞のトリはあゆだって決まっていた。月曜日はキムタクがちょっと待ってほしいというので定時に月9を観るのが国民の義務であった。
好きなものと嫌いなものがみんな同じだったのである。
そんな中でジャイアンツはプロ野球の盟主なんて枠を超え、国内エンターテイメントの最高峰。ジャイアンツのナイターは毎晩19時から最大21時54分まで延長する地上波中継は当然で、デイゲームは年に1度の札幌・円山球場での地方遠征くらい。
映像メディアがテレビに限定されている中でジャイアンツはゴールデンタイムのリビングの話題を独占し、清原が死にたいくらいに憧れたように、一億総巨人ファン。プロ野球といえばジャイアンツであり、松井はその中心打者だったのである。
もちろん、松井は横綱となるも一度しか優勝できなかった稀勢の里とは違う。ジャイアンツの四番に座り続けた。
落合、清原、マルティネスという実績も迫力もあるベテランスラッガーがいたこともあり定着は遅かったのだけど、2000年に開幕四番を任されてからは四番として全試合フルイニング出場。
いつの間にか読売巨人軍・松井秀喜というより、松井ありきのジャイアンツ、松井ありきのプロ野球になっていた。
アマ時代の大活躍を看板にしてプロ野球選手となり、その期待のままプロ野球で活躍することは本当に難しい。
松井がMLB移籍後、ジャイアンツの55番を背負った大田は「誰があんなバッティングフォームを教えた」なんて原監督に酷評されて、プレーに自信を持てないまま日ハムへ移籍してしまった。
”Chosen one”と言われたブライス・ハーパーでさえ、当時の期待からすると半分程度しか活躍していない。次世代のボンズとなり、ジーターの後を継ぐはずだった。
ドラフト史上最高の投手と言われたスティーブン・ストラスバーグはもう32歳になり、去年と今年は7試合しか投げていない。
松井は高校時代から国内野球界の頂点に君臨することを求められて、本当にそうなったレブロン・ジェームスなのである。
規格外の打球
松井のスラッガーとしての実力は国内では群を抜いていた。
ジャイアンツの本拠地である東京ドームでは誰よりも看板に当て、広島市民球場、横浜スタジアムでも場外弾を放った。
東京ドームの天井に当てながらスタンドインさせたこともあったし、
セカンドがジャンプした打球がスタンドイン、なんてこともあった。
松井の打球の特徴は、とにかく落ちてこないことである。
スイングスピードが極端に速いだけでなく、コンパクトなレベルスイングからボールに回転をかけ、角度がついた打球は遥か彼方へ、ライナー性の打球は指数関数グラフのように浮き上がっていった。
常に松井のライバルはホージー、ペタジーニ、ローズ、ゴメスといったガイコクジン選手。
プロ野球で世界を感じることができたのが、松井だったのである。
もしも松井が・・・
松井のMLBでの成績は10年間で打率.282、本塁打数175、打点760。
大谷がいなければ、日本人選手がこの数字に近づくことさえ遠い先になる可能性がある立派な成績なのだけど、松井はもっとMLBでパワーを発揮できたのではないかと思っている。
松井ホームランカードでは「松井が王貞治の868本のホームラン記録を更新するまで応援する」と謳っていたし、実際そうなると疑わずにカードを集めていた。
結局、361枚も足りていない。
野茂、佐々木、イチローと続くと、プロ野球で実績を築いたスターたちはMLBでもすぐに同じ結果を期待してしまう。当時は、もちろん松井もMLBの1年目から活躍し、最低でもホームラン30本は打つと信じていた。
ただ、手元で動く変化球と広い外角に苦戦し、1年目はホームラン数は16本にとどまった。
(そんな中でも106打点を記録し、ジョー・トーリ監督に「チャンスでもっとも打席に立たせたい打者はヒデキ以外にいない」とパワーヒッターが揃うヤンキース打線の中でしっかりと自身の役割を見つけ、全うしたことはものすごく誇らしく思う。)
大谷だけではなく、菊池やダルビッシュを見ると、やはりどんな選手でもMLBでの順応の期間が必要だと考えている。
大谷、ダルビッシュはもともと最大出力は高かったが、シーズンで安定して同じパフォーマンスをするために明らかに身体が大きくなった。入団当初は決定的なパワー不足だった菊池は、今では4シームとカッターで押す投球ができるようになり、今年のオールスターにも選ばれた。過去にはマリナーズ岩隈も、日本時代は華奢なイメージだったが骨格レベルで進化したのではと言うくらい筋肉量を増やした。黒田は日本時代のパワーピッチングから、左右に動くボールとスプリットをコーナーに投げ分け、ヤンキースでローテの先頭に立つようになった。
フィジカル面だけではなく、配球の違い、気候の違い、動くボールへの対応、ストライクゾーンの違いなど、MLBで活躍するにはやはり順応の期間が必要であり、それは若いに越したことはない。
松井がMLBに移籍したのはプロ野球選手11年目の29歳。
ジャイアンツという巨大帝国の主軸だったこともあり、移籍するにはFAまで待たなくてはいけない宿命であったが、もっと若くしてMLBに移籍、アメリカでのプレーに馴染み、打者としての全盛期をMLBで過ごすことができれば、よりスラッガーとして活躍できていたのではと考えてしまう。
特に松井の健康面では、2006年のレフト守備の際の左手首骨折の印象が強いが、常に苦しめられていたのが両膝の状態である。ジャイアンツ時代に痛め、その後も硬いドームの人工芝の上でフル出場しており、相当に消耗していたようである。
ヤンキース時代の前半はレフトの守備についていたものの、ヤンキースタジアムの左中間は特に広く、相当な守備範囲が求められ、膝を痛めていたこともあり後半はDHに特化。2009年のワールドシーリーズMVPに選ばれながらヤンキースとの再契約がなかったのも起用法が限定されることが原因であった。
ドームでのプレーが限定されていれば、もしかしたら、なんて考えてしまう。
(スポーツにたらればはありがちだし、もちろんジャイアンツでFAまでの10年間を全うし、国内での松井の活躍は相当僕を楽しませてくれた面もある。)
スラッガーのパイオニア
連日大谷がホームランを連発しているが、今の活躍は松井の存在無くしてはなかっと思っている。
人は無意識に自身に制限をかけてしまうものだ。
前例がなければ今後もできないと考えてしまい、あと一歩の踏み出しに勇気を持てない。根本的に、人間なんて損得勘定で判断するで生き物あり、可能性がないものに対して疑心暗鬼にならず進むことはできない。
野茂は日本人選手がMLBでも活躍できることを、イチローは日本人野手が、そして松井はホームランバッターとして活躍できることを証明した。
1994年生まれの大谷にとっては、日本人選手が投手・野手問わずMLBでプレーすることは普通であり、それを目標に自身のレベルアップに没頭できた。
そういう意味では松井の存在は大きく、今の大谷の活躍にもつながっていると感じている。
free