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恵みの雨

会社から出た時は確かに晴れていたのに、100mも歩けばポツポツと身体に当たり始めた雨が、その更に200m先を歩く頃には土砂降りに変わった夕方。

蒸した暑さに耐えきれず、途中のコンビニでアイスを買うことを決意していた日中に比べるとその気持ちは薄らぎもしたが、それでもやっぱり食べたい気持ちが勝ってコンビニに立ち寄った。

私を一目見た店員さんにギョッとされるくらいには頭から爪先までびしょ濡れだったが、気温が高いお陰で寒さは全く感じない。お店を濡らしてしまう後ろめたさから足早にお目当てのアイスを手に取り、お会計を済ませ、店員さんにお礼を言うと「お気を付けて」と声を掛けていただいた。

そこから5分ほど歩けばもうすぐ家に辿り着く。
車通りの少ない道路をいつも通り斜め横断しようとすると、左から黒い車が向かって来ていた。私はその車を見送りつつ、その車の後ろを通るために斜めではなく横一直線に道路を渡ろうとした。しかし、思っていたよりも車の進みが遅い上に、横一直線に進む私の目の前で車がブレーキを掛け出した。路駐するつもりだろうと気にも止めず車の後ろに回ろうとしたその時、運転席の窓が開き、窓から傘を出した運転手さんが私の方を見ながら「ねーちゃん、傘!」と言った。

勿論知らない男の人である。人生で初めての出来事による衝撃に、一瞬その空間が切り取られたような、時が止まったような感覚に陥った。しかし、発言するという行為はそんな感覚とは別のところにあるらしく、考えるよりも先に出た言葉は「あ、大丈夫です!」だった。左手でパーを作りながら。その言葉を聞いて車は走り去って行った。

そこから家に着くまで、家に着いて服を脱ぎ、雨に濡れて一時的に充電出来なくなったiPhone片手にソファに座るまで、自分の返答は正しかったのか、何て返事をすれば良かったのかをずっと考えていた。

改めてずぶ濡れた服と風呂上がりのような髪の毛を見ると、相当酷い有様で道を歩いていたことを客観的に判断することが出来た。しかし、そんな人を見掛けたからといって(しかも車を運転しながら)声を掛けようとするだろうか。まして分厚い雲から降り続ける雨、この後自分で使うかもしれない傘を、どこの誰かもわからない女に渡そうとするだろうか。
凄い勇気と親切心を持った人なのだろうか。それともそれが普通のことと思える人なのだろうか。どちらにせよ、もう少し家が遠ければ、あんな道路のど真ん中でなければ、私はあの傘を受け取っていたかもしれない。

どんなに考えても初めての出来事に対する答えは出なかったが、一つ確固として生まれたのはお礼を伝えるべきだったという後悔だった。
もうきっと直接感謝を伝えることは出来ないけれど、あの人の心優しい行動は一生忘れないだろう。

ありがとうございました。
あの人の優しさに感謝の気持ちを込めて。

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