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元ポンコツ高校球児がマラソンに目覚めたきっかけ

みなさんは走るの好きですか?しかも長距離を
ほとんどの方は嫌いですよね。私もそうでした。中学生までは。
ほとんどの方が嫌いで、イヤイヤ走らされてたであろう校内マラソン大会。
でもイヤイヤでも絶対走りたくない!仮病を使ってでも休む。それほど大嫌いでした。
そんな奴がマラソンにはまる...人生わからないものです。
でも昨今のマラソン大会に参加して、楽しんでおられる方のほとんどがそうだったのではないでしょうか?
学生時代、陸上部だった方とかを除いては。

実はこう見えて(見えないっすよね 笑)高校球児でした。わりと名門の。
レギュラーはおろかベンチ入りもできないポンコツ部員でしたが。
その当時、野球部の冬の練習はとにかくボールを使わず、筋トレやらランニングといういわゆる体作りの練習の繰り返し。
怖い監督、コーチ、先輩の前で毎回仮病など通用しません。
いやいやでも繰り返していくうちに、筋肉もついてくる。中学の野球部とは比べ物にならないハードな練習を繰り返してるうちに、体力もついて徐々に走れるようになっていたのです。
しかも、わりと名門の野球部。頭も体も筋肉みたいなガタイの連中に比べると、吹けば飛ぶような体型だった私は、気づいたら、そんな大男達に唯一勝てるのが持久走になっていたのです。
三年生になるころには、野球はセンスはないのに冬の練習になると頭角を現す、ホントに使えない野球部員でした。

でもさすがに陸上の世界で活躍できるなんて程遠い。
野球もダメ、走っても中途半端...お恥ずかしい話、今もそうですが、何をやっても極められない、中途半端なヤツだったのです。

高校を卒業し、大学へ進学。
大学では草野球程度の運動しかせず、なぜかバンドに熱中(汗)もちろん走ることもしなくなっていきました。
ただ、「死ぬまでに一度くらいフルマラソンってやつを走ってみたい」という気持ちが頭のどこかになんとなーくありました。
そう、ただ漠然となんとなーく...あーやっぱりMr.中途半端(笑)

そんな思いのままだらだらとフツーの生活を送ってきた2003年秋、那覇の友達を訪ねたのをきっかけに、沖縄という土地にはまりました。
一時期起きた沖縄ブームの少し前。
でも不思議と「青い海」とか「青い空」というお決まりのフレーズではない、あの独特の「ゆるさ」「優しさ」
近代化された都市と違う、何とも言えない昭和な感じとアメリカ文化が入り混じった、独特の雰囲気にはまってしまったのです。

そうして何度か沖縄を訪問していくうちに、NAHAマラソンというマラソン大会があることを知りました。
その当時、今のように市民マラソンが乱立しておらず、もちろん東京マラソンの「と」の字もない時代。
私の乏しい知識では市民マラソンといえばホノルルマラソンが代表的な存在でした。でも、ホノルルより若干お手軽、そしてなにより、大好きな沖縄を走れる。

でも全く未知の世界であるフルマラソンの世界。果たして完走できるのか...そんな期待と不安も持ったまま、2005年、フルマラソンに挑戦する決意を固めたのでした。

そう、私がマラソンを走るきっかけに「沖縄」というワードが外せないものでした。
沖縄がなくても、もしかしたらフルマラソンに挑戦していたかもしれませんが、続けていたかは...な感じです(笑)


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