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前ぶれ

トラウマについて思うことを書いてたんやけど、重すぎてやめた。これでは身近な人を心配させるだけやと思った。

代わりに、国が保障してる相談窓口に電話をかけた。一人では解決できなさそうやし、知人に頼るには重いし、それなら専門家に頼るしかないと思った。

電話をかける前、「でもここに電話をかけるといことは、私が被害を受けたことを認めたことになるんでは…?」とかなり躊躇いがあった。(認めなければ被害を受けてないことになる気がした。)

いざかけてみた後も、「こんなことで辛いとか言ってて、笑われたりしないかな…?」と不安やった。

結果的にはそんなこと全くなくて、相談窓口の人は丁寧に言葉を選びながら、でも共感しながら話を聞いてくれた。プロやなと思った。

10年前に摂食障害で悩んでたとき、やはり県の相談窓口に行ってみたが、その時は明らかにプロの人ではなかった。それで不信感を持って公的なサービスは避けてたけど、今は精神医学の認知もずいぶん変わったんやなぁと思った。

ここまでまるで平静に書いてるけど、電話してる時は全然平静ではなかった。…いや、淡々と話してるときもあったかも。でも涙が出て、言葉に詰まる時もあった。極端に理性的か、感情的にしか話せない自分が哀しい。

相談窓口のお姉さんが「辛かったね」と共感してくれるのを、「なんか久しぶりに共感されてるな…」と冷静に見る自分もいた。私は普段から理知的な回答、解決のためのアドバイスをしてくれる人に相談することが多いから。それは「それを求めてるから」というのもあるけど、気持ちを寄せられると感情が爆発してしまうんじゃ?!と怖いからだと思う。

電話でも、自分の境界線の甘さについては話した。自他の感情の見分けがつきにくいことを伝えると、やや神妙な感じの返答がきた。何かおかしなことを言ってたんやろうか…。

電話の最後の方で「加害した人に何かしたいことはありますか?」と聞かれて、口籠った。訴えるのは可哀想やし…と思い、「まぁ許せたら、」と答えたと思う。そう言いながら、私のこの中途半端な優しさが、トラウマを大きくしてるんやろうなとも思った。

でも実際、個人への恨みというよりは、このような問題が起こる社会に対して怒ってると思う。もはや。

ところでこの電話をかけるまで、私はトラウマについて一人で考えてたけど、それはとてもエネルギーの要ることやった。毎日疲れていたし、電話をかけた当日も電話する以外のことはほぼ何もできてない。それだけ、気持ちや過去と向き合うというんは体力がいる。

仕事をしたり、遊んだりすることで、解消できるストレスもある。でも今は、何をしてても休まらない。私はもう変わる時期が来たんやと思う。

この日記を誰が読んでるのか私は知らないけど、気持ちと向き合う時はお休みの日にしてね。がんばってるんやから、身体くらい休めてね…と言いたい。

一緒になってずっと寝ててくれたひと

生きる糧にします