子猫とマフィン
朝食を準備してると、必死な鳴き声が聞こえた。ベランダに出て声の元を探すと、隣の家に黒い影がチラリと見える。どうやら庭に置いてある家財に黒猫がはまり、出られなくなってしまったみたいやった。上からやと、這いつくばる子猫の両腕だけが見える。黒猫やった。
親猫も近くにいたが、どうしたらいいのか分からずウロウロしている。私は上からお隣さんに指示を出した。「その白い家財の中にハマってます!」と伝えると、お隣さんは「こんなところにいたのか」と呟きながら子猫を外に出した。
一旦離れて見ていた親猫も戻ってきて、子猫と合流する声が聞こえた。きょうだいがはしゃぐ声もする。
安堵したように思えたが、暫くするとまた子猫の鳴き声がした。また上から隣の敷地を覗いてみるが、黒猫の影はない。でも確かにそこにいる声がする。お隣さんにもう一度声をかけて、探してもらうよう促した。子猫は親猫たちについていけなかったみたいやった。
お隣さんちは茂みが多く、小さな猫が隠れる場所はいくらでもあった。庭といっても内庭なので、他人が入れるような場所じゃない。というか私も一緒に探すことを頼んだが、断られてしまった。お隣さんは子猫を見つけ出せなかったようで、一度はやんだ鳴き声も、夜がふけるとまた聞こえてくる。その度ベランダから見たり、裏庭から覗いてみたが、目視で見つけることはできんかった。
どうしようもない気持ちになる。普段から近所付き合いをしていれば、一緒に捜索できただろうに…こんなところでツケがまわってくるとは思ってんかった。でもできることはしたんやから、仕方がない。そう思いたくて、鳴き声で目が覚めた朝5時から、イングリッシュマフィンを焼いた。
うちはパン焼き機がないので、手捏ねするしかない。手捏ねは時間も力もそれなりに必要で、最中は必死になる。手捏ねしてる間は、その時考えてることや悩んでることから離れられる。だから私はよくマフィンを焼く。蒸しパンやおやつを作るのも、似たような理由。
この人生ずっと、私は虚しさから必死に逃げている。何かを作ってる間は虚しさを感じないで済む。だから作る。
子猫を探しながら、保護して育てることになったら、虚しさなんて感じる暇ないやろうなと想像してた。そんな下心を神さまに見抜かれたんやろうか。いや、そんなん関係ないか。でも子猫を助けたいという気持ちは、エゴはエゴやろうな。でもそういう他己的な気質が、人間には備わってるから…いや、何を考えてるんや。
マフィンは今日もおいしそうに焼けた。朝ごはんにしよう。きっと、虚しさの味がするんやろう。
▼参考にしてるレシピ
生きる糧にします