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顔タイプ診断を受けて→レディース服を手放しました

大好きな自問自答ファッションさんの勧めを受け、ORBISの顔タイプ診断を受けました。

顔タイプ診断とは、人の顔を「子どもっぽいか、大人っぽいか」「直線的か、曲線的か」見極め、そのバランスで「似合うファッションやメイク」を分類したもの。巷ではパーソナルカラーや骨格診断がはやってるけど、実感としては顔タイプが一番「似合う」に影響していると思います。

そんな私の結果は、ソフトエレガントでした。

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ソフトエレガントの人が似合うファッションは、こんな感じです。

顔タイプ診断 フレッシュさんの似合うファッションブランド・芸能人は? | 10iro salon

わかる〜〜!!!!

思わず深いため息をついてしまうほど、腑に落ちる結果でした。基本的に繊細なコーディネートがはまるのですよね。

「見た目」に似合うファッションを選んだ20代

10代の私は、赤や緑の大輪がプリントされた古着のワンピースに、辛子色のタイツを合わせ、だけどヘアスタイルはボサボサといった、一言でいうとクレイジーなスタイルでした。今の私を知る人からすると想像つかないでしょうが、派手な服が大大大好きだったのです。

そんな私がシンプルな装いに目覚めたのは、20歳を過ぎてから。その理由は、クレイジーファッションの評判がすこぶる悪かったからです。友人知人から「それはあかん」と何度も注意を受けました。はじめこそスルーしていましたが、何度も忠告を受けるうちに「これは…逆風が強い…?」と気がつき、TPOを意識するようになりました。

そこで選んだシンプルさは、今思えばまさにソフトエレガントな洋服だったと思います。今より丸かったので、その中でも可愛らしめのテイストを好みました。すると、評判は一転。周りから「似合ってるね」と褒められ、なんとなくみんな「安心した」表情を向けるようになりました。それまでのクレイジーファッションは、人に不安感を覚えさせていたのかもしれません。確かに、混沌とした自己表現として、ファッションを捉えていました。

他者の評判を得た私は、嬉しさを感じる一方、違和感を覚えるようになります。「わかってもらえない」「普通のフリしてるだけ」
そんな不満が、心の中にうっすらと蔓延するようになりました。つまり、外見に似合うものを追求した結果、今度は心とのズレが新たな課題として現れたのです。

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また、さっきの「安心」とは真逆の結果なのですが、他人から怖がられるようになりました。私を見て「やさしげ」「大人しげ」な第一印象を得た人が、だんだん滲み出てくる「クレイジーさ」を感じ、そのギャップにやられてしまうのです。(外見が変わっただけで、中身は変わっていないのだから、今思えば当然の結果です。)

彼ら彼女らの反応を見て、「TPOのため選んだファッションだけど、これはこれで不親切かも」と思うようになりました。

初めて客観性を得る

それでも「じゃあどうしたらいいのか」がわからず、10年ほど同じようなスタイルを続けました。人生で2回目となるファッションの転機が訪れたのは、コロナ(COVID-19)がきっかけです。政府からの自粛要請を受け、おうち時間で何かできないかと模索した私は、LIVE配信を始めました。そこで私は、初めて「動き、喋る自分」を見ます。そしてビックリしました。

「なんだこの、フニャフニャした生き物は…」

男に生まれていたら、確実に学生時代いじられるであろうナヨナヨした人が、そこにはいました。

「私ってこんな人間だったのか。」
それはあまりにも、自分が想定する「私」とは遠いものでした。

もちろん自分自身なのだから、半分は意図的に演じていたものです。私は常々、「優しい人でいたい」と思ってきました。それは小学生の頃、友だちとうまくいかない経験から思うようになったことでした。その頃私は、限りなくアラレちゃんに近いキャラクターでした。自由奔放で、元気で。だけど自分の加害性を自覚したとき、自分のあり方を見直しました。そしてそれ以降、人を傷付けまいと努力してきました。

そんな観念のもと、選ばれる私の「仕草」や「表情」は確かに優しげではありましたが、客観的に見ると「やりすぎ」でした。筋肉質な男性に生まれていたら、それでもバランスがとれたのかもしれません。だけどソフトエレガントというもともと優しげな顔立ちに加え、眉毛を下げて笑う私は、優しいを通り越して生命力弱そう…という印象でした。

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ファッションを中性に寄せる

自分の外見に違和感を覚えた私は、解決をはかりました。

「これ以上、優しげな要素を足す必要はない。髪の毛、もっと短くしてもいいかも…?!」

そして、刈り上げたのです、襟足を。ついでにブラウンから黒髪へ、ストレートからパーマヘアにしました。

すると、ちょっと性別がよくわからなくなりました。ワンピースもスカートも、フェミニンもキュートも似合わなくなりました。白よりも黒の方がしっくりくるし、パンプスよりもローファーの方が落ちつきました。

それならばと、ワードローブの中から「似合わなくなった服」を選りわけることにしました。「似合う服」と「似合わない服」、それらはいずれも同じワードローブから出てきたのに、かなりはっきりとした違いが見られました。前者は「メンズやユニセックスのもの」であり、後者は「女性的なラインが出る」「可愛らしい服」だったのです。

自分の弱点に気がついた

本来の私は、性の認識がもともと薄いタイプです(なんせアラレちゃんなので)。
だけど、人前に出るときはそれを隠すように、自ら「女性」の枠にはまるファッションをしていました。その方が、自分の加害性(つまり、それは多分男性性)を封印できると信じていたのでしょう。

同時に、「無難な女性らしい」格好をすることで、もう2度と批判されないよう、服装を注意されないようにと、自分を守っていました。自らを弱く見せて、「あなたを傷つけないし、あなたも私を傷つけないでほしい」とメッセージを送っていたのです。

問題は、それを「無意識に」やっていたことでした。意識的に、戦略をもって選んでいるならば問題はありません(私はいわゆる”ぶりっ子”と称される人の演出力を尊敬してます)。だけど私は、気づかないうちに「女性らしいファッション」を選び、”古びた価値観としての”女性の役割をわざわざ担おうとしていたのです。

なんか、うっすらしんどいなとは、思っていたんです。
人に優しくあろうとしても、結果的にビビられて、求める結果を得られないこと。小学生までは悩みのない元気な女の子だったのに、今では周りに「もっと自信持った方がいいよ」と言われるようになってしまったこと。

それは私が「私」を押し殺して、型にはまった女性を演じようとしてきたからでした。そしてそれは私のファッションに、象徴的に現れていたのでした。

「私は女性らしいファッションをすると、自信をなくす」
それを理解すると、「似合わない」と選り分けた服たちに、未練はありませんでした。これらを手放して、新しい自分に会いにいこう。そう決心できたのでした。

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【後日談】

この記事を書いた二年後の現在、私は毎日ワンピースを着ています。ユニセックスやメンズを着ることだけが、中性に近づくことではないと気づいたからです。私の中には男性性も女性性も存在し、どちらか一方を否定しても仕方がない。だから両性を包括する衣服を着ればいい。その結果が社会的にはたとえレディースであっても、自分にとっては両性でいられるファッションです。

生きる糧にします