戸塚

学生時代は横浜の戸塚に住んでいた。横浜と言えば今も昔もオシャレな港町のイメージだが戸塚は東海道線では横浜の隣だけど、正直何にもない普通の田舎だった。いや田舎と言うと感じが悪いので地方都市だった。地方都市名物の丸井も駅前にあって、最初の頃はうわー丸井だすげぇとか思いながら用もないのに見に行っていた。群馬にはスズランしかなかったからね。

ぼくは戸塚駅の西口に住んでいたのだが、その頃は今よりも子供が多くアパートを探すのに苦労した。おそらく家賃も今より高かったんじゃないだろうか。なので結局は戸塚駅から徒歩20分もかかる丘の上の間取りが変なアパートを借りた。部屋が四角くない、三角形と菱形を無理やり組み合わせた様な感じのワンルームだった。こんなところに長く住み続けたら気が狂うんじゃ無いかと思ったけど、もっとも新築だったし気に入っていた。地方から出てきた学生は大学の至近に住む奴らが多くて、通学には便利だがそうすると狭い世間で割と行動が筒抜けになる。誰が誰連れて歩いてたとかそのレベルだが、ぼくの住んでいた方にはほとんど誰もいなかったのでそう言う煩わしさがなかった事は良かった。

その頃は戸塚駅西口に長い商店街があり、毎日そこを通っていた。個人商店、食堂、パチンコ、スーパー、ゲーセン、学生の一人暮らしは全て賄えた。もっともうちから学校までは山二つ越えて徒歩で50分かかった。しかも当時文系の授業なんざ面白くもなんとも無かったからどんどん行かなくなった。駅まで行けばバスが出ていたのだがバスもやたら混むし学校からは足が遠のいた。
昔の戸塚商店街には本当にお世話になった。生まれて初めて青椒肉絲を食べたのは天龍と言う中華料理屋だったなぁ。そういえば天龍には中学生くらいの男の子がいて、その子がスニーカーが好きで、でも親には買ってもらえてなかったのだろう、ぼくの履いているエアジョーダンとかをそりゃもうすごい目つきで見ていた。天龍にはスラムダンクが全巻置いてあったし、それが面白くて天龍に行くたびに違うスニーカーを履いていって反応を楽しんだりしたっけ。あいつももういいおっさんだろうけど元気かな。
いまだにある「とんかつ田中」も名店だった。ぼくが学生の頃に脱サラして始めた感じのお店で感じの良いご夫婦がやっていた。ここには20年以上ぶりに訪問できて涙が出そうになった。美味くて安いのだが、実はここの娘さんがぼくは結構好きだったのだ。バブルの名残を残した派手目な人だっかが、お店を手伝っているギャップに萌えた。

それから幾星霜、商店街をぶっ潰してトツカーナとか言う駅ビルを建てた、とは聞いていた。ふと戸塚に行きたくなり、電車を乗り継いで行ってみた。離れてから30年近く、うわーと声が出そうな思いと共に駅に降りた。東口はそれほど変わっていない、なぜかやたら鳩がいるのも昔のままだ。

西口、トツカーナを初体験。これがまたセンスが皆無で何もワクワクするものが無い。ゼネコンと当時の行政の利害関係者以外だーれも嬉しく無い、ただのデカい雑居ビルだ。入っている店は昔商店街にあった店が等価交換で移ったのと、あとはあってもなくてもどうでも良いチェーン店ばかり。とてもつまらない。出口も何もかも分かりづらい、これ何のために作ったんだろ?

西口にはかつて有名だった空かずの踏切があった。今は列車が地下を走り踏切は無くなっていた。その付近に支那そばやがある。ラーメンの鬼、佐野さんのお店だ。支那そばやはぼくが戸塚に住んでいた頃がおそらくは絶頂期で、一度は行きたいラーメン屋No. 1だったと思う。私語厳禁、子供厳禁、香水厳禁とか色々とルールがあり、破ると包丁持って追いかけられると聞いていた。

支那そばやとジャンジャン、これが藤沢平塚の歴史に残る二大名店だろう。客に厳しい支那そばや、スタッフに厳しいジャンジャン、客商売の極端同士であった。
またいつか、何らかのどうでも良い理由をつけて戸塚を訪れることもあるだろう。でもトツカーナにはもう行かないな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?