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今日のジャズ: 7月13-14日、1962年@ニュージャージーRVG

July 13-14, 1962 “The Tokyo Blues”
by Horace Silver, Blue Mitchell, Junior Cook, Gene Taylor & John Harris Jr. at Van Gelder Studio, Englewood Cliffs for Blue Note (The Tokyo Blues)

東京が早目にお盆に入る頃、この曲を聴きたくなる。盆踊りのような日本的な太鼓のリズムとメロディーの影響があるからか、日本人の魂をくすぐられてか足がリズムを刻み出す。

当時は高価なレコードがコーヒー一杯で聴けるというジャズ喫茶等の浸透がジャズの一般的な普及の土壌を形成した上で、多数の米国ジャズミュージシャンが来日して興行的な成功を収めていく。

1961年にホレスが所属していたアートブレイキーのジャズメッセンジャーズが来日して先鞭をつけ、その年末にホレスも来日、日本各地をツアーしてジャズブームに拍車をかけた。その滞在時にインスパイアされ、日本のファンへの感謝に気持ちを込めて製作された本アルバムのタイトル曲。

冒頭の「ガシーン」と微妙に遅れるリズムの取り方、中盤で繰り返されるシンバルと和太鼓的なスネアが東洋的な雰囲気を醸し出して印象に残る。日本中をツアーしたバンドの一体感も素晴らしく、熱狂的に歓迎されたこともあってか日本滞在での良い思い出が本作に結実されている。これがジャズたる大きな要因の一つは、左から聴こえるハイハットのリズムキープにあるとみる。ハイハットはキープしつつも、シンバルやスネアは変則的だから和洋折衷的な表現となっているが技術的には難易度が高そうだ。

耳慣れないメロディーとテンポが魅力的なのか、何度かカバーされ、その後に歌詞も付けられた。その歌詞には日本語のテリヤキ、スキヤキとサケが登場、大凡どんな内容か想像出来る。

アルバムのカバーは着物の日本人女性二人に囲まれて日本庭園で微笑むシルバー。この左側の女性は当時、ニューヨークに滞在中の出光興産のお嬢様との多数の記述がウェブ上にお決まりのように出てくるが、その確信たる出典元は見当たらない。唯一、おそらくそうかも、と思わせる記述がその本人の当時を振り返るインタビューにあった。

出光:すごいっていうのは、ウォルドルフ・アストリアホテルに泊まって、姉と二人でひょーっと抜け出して、ちょっと歩いたところに、ジャズのレコード売ってるところがあって、二人でこうやってウィンドウ越しに見てたんですね。そうしたら中から黒人の男性が出てきて、入んなさい、入んなさいって。それで言葉がわからないから、なんだかんだって。それで、どこにいるかって、彼は家を聞いてきたから、私達は「アストリア、アストリア」。それで「ジャズが好きか?」って聞くから、「好きだ」って言ったら、じゃあ今夜ジャズに連れてってあげようって言うんで。で、その日の夜、彼が車で迎えに来てくれたんですよ。その時も絶対アストリアの前には出ない、脇に止まって、見えないように、見えないように停まってて。で、私達はそれに乗って、フォルクスワーゲンなの、覚えてる。で、ブルックリンに行って……

中嶋:ブルックリンに行ったんですか?

出光:それでね、入ったら、誰かピアノ弾いてんです。それがセロニアス・モンクです。彼とセロニアス・モンクはよく知ってる仲だった。それで初めてその時セロニアス・モンクって人、聴いたし、会って。あれはすごい印象に残ってる。

小勝;素晴らしいですね!

中嶋:すごい体験ですね。ジャズは日本にいる時からお好きだったんですか?

出光:好きでした。すごく好きでしたね。

(出典: 出光真子氏ウェブサイト掲載インタビュー記事)

このインタビューにニューヨーク滞在の時期についても触れられており、時期は本アルバム収録時と合致している。更に踏み込んで調べてみたら、日本のジャズ評論家の大家で、著名な辛口ジャズ評論家の寺島靖国氏ですら「ジャズ界で一番偉い人」と形容する岩浪洋三氏が直接、出光さん本人から聞いた話のようで、同氏のコラムに以下の記載がある、という情報を見つけた。これが出典の大本である可能性が高い。

『出光真子(いでみつ・まこ)、といわれてすぐに誰かわからなくても、あのホレス・シルバーの『ザ・トーキョー・ブルース』のジャケットで、キモノを着て写っている女性(左端)といえば、ジャズ・ファンならすぐに思い出すはずだ。
 彼女は、出光石油の先代の社長のお嬢さんだった。大のジャズ・ファンで、早稲田大学の3年生のときに世界一周旅行へ出かけ、ニューヨークには20日間も滞在してジャズを聴きまくり、ホレス・シルバーとも仲良くなったのだった。ぼくが彼女とはじめて出会ったのは、1960年の春頃のこと。彼女は、よく深夜に一人でオペルを運転して、新宿の“キーヨ”などでジャズを聴いていた。当時、本誌(注: スイングジャーナル)の編集長だったぼくは、彼女をなんとか本誌の対談に引っ張り出そうとしたが、「ジャズを聴いているのが親にバレたら、勘当されるからイヤだ」と逃げ回っていた。その後、なんとかお願いして久保田二郎氏との対談「お嬢さん 鳥の国へ行く」に出てもらうのに一か月もかかった。

(出典: スイングジャーナル、岩浪洋三「縁は異なもの」)

当時のジャズは、日本では不良的な音楽として扱われていたという事も垣間見える貴重なエピソード。

オフショット。NYブルックリンの日本庭園
出光真子さんの近影、面影が感じられる

日本人女性は日系二世も含めてアメリカのジャズマンとも縁が深く、鉄人ドラマーのエルビンジョーンズが生涯に渡って連れ添った奥様や、テナーサックスの才人ウェインショーターのカバージャケットに登場する当時のパートナーなど、ジャズ業界での日本や日本人ミュージシャンの存在感の向上に貢献した。アメリカでは黒人ミュージシャンと同じマイノリティに属する共感がその一つの要因かもしれない。

ショーターの当時のパートナー、
Teruko Nakagamiさん

本アルバム収録の前年の年末に来日して、一月に二週間、合計19回コンサートした際、シルバー自身のラテンのルーツと日本人のラテン音楽好きが合致して盛り上がったのが、アルバム制作のきっかけと本人によるライナーノーツに記載されている。ホレスの日本への感謝を込めて作成された曲リストは、以下の通り。

1. TOO MUCH SAKE(しこたま日本酒)
2. SAYONARA BLUES(さよならブルース)
3. THE TOKYO BLUES(東京ブルース)
4. CHERRY BLOSSOM(さくら)
5. AH! SO(あっ、そう!)

一曲目は、日本人ジャーナリストによる本作ライナーノーツに登場する、シルバーの一行を来日時にホストした日本人ドラマーの白木秀雄の実家が酒屋というのも繋がりがあるのかもしれない。

ホレス作による地名の付いたブルース曲は、調べたところ本曲を含めて三曲ある。それぞれに異国情緒溢れるメロディーとテンポがあるが、ラテン調という共通の素地が一貫しているのが如何にもホレスらしい。

ピアノを学んだ自身の父親の出身地でポルトガルの植民地だった、アフリカ北西部にある離島、カーボベルデ共和国の名を冠した作品はこちら。ラテンのリズムでパーカッシブな、代表的なスタイルが披露されている。ホレスには”Song for My Father”という名曲もあるように、父親愛が半端ない。

バグダッドブルースという曲もある。ライナーノーツには、中近東の音階を使っていると記載されているからイラクのバグダッドなのだろう。但し、どういう繋がりがあるのかは分からなかった。いずれにしても、ホレスらしいラテン系のファンクさが演奏に貫かれている。

最後に、ホレスによる本作から約一年前のニューヨークでのライブ演奏作品をどうぞ。熱気を帯びた演奏に観客は大盛り上がり。こんな感じで当時の日本ツアーも大盛況だったのでしょう。ジャズの最も活気が溢れた時期を捉えている貴重な記録です。

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