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安達は童貞なのかという命題/安達としまむら

※注意
この記事は原作5巻(アニメの内容まで)以降のネタバレを含む可能性があります。また、解釈違いなどもあると思いますが基本的に原作の本文に依拠した解釈をしていこうと思いますので最後まで見ていただけると幸いです。

僕はニコニコでアニメを見るのが好きで、新旧問わず基本的にニコニコで見るのですが、その流れで「安達としまむら」を見ていた時に多く見受けられたコメントの中に、「安達が童貞っぽい」「なんでこんなに男子高校生っぽいんだw」というものが多くありました。
この解釈は実際正しい部分が多々あると思いますし、僕も最初見たときはそう思いました。
前提として、ニコニコのコメントに正しさなんか要りませんし解釈は人それぞれなので正解もありません。要は楽しければ良いのです。
それを踏まえた上で、原作を見て感じたことと、上記の解釈に対して少し補足をしていこうと思います。

まず、便宜上ここでは「童貞」=「男子高校生」とします。ニコニコで百合アニメを見るようなオタクくんが童貞でない、もしくはなかった筈はない(失礼)ので、彼らの想像し得る男子高校生は童貞となるからです。もし彼らの想像している男子高校生が普通に彼女がいるような存在であるなら話は違ってきますからね笑
「女の子の視聴者もいるかもしれないじゃん!」
という声も聞こえてきそうですがニコニコでは全員が男になる決まりなのでここでは考えないこととします(判別する方法もないので)
さて、長くなりましたが本題に入りましょう。
まず、なぜ安達が童貞っぽく見えるのか。
それは、ひとえに言えば人間関係に関する経験の薄さから来るものでしょう。
もっと具体的に言うと、安達の人間関係レベルは小学校低学年、あるいはそれ以下で止まっていると考えています。小さい頃から人間関係というものに全く興味を持たず、家族とのコミュニケーションも上手く行かずに育ってしまったため、人と上手く向き合う方法が分からないのでしょう。
大抵の人間は、小さい頃に人間関係を築こうとして、上手くいかずに悩んだり、ストレスを抱えたりしながら、悩みやストレスとの向き合い方や自分の感情をコントロールする術を学び、人との向き合い方を学んでいくものです。
しかし、安達にはそれらの経験が無かった。
なので、5巻の様な事が起こってしまったんですね笑
でも、安達はしまむらを好きになってしまった。
好きで好きで仕方なくて少しでも近づきたくて自分の事だけを見てほしくてでも、そういう感情と上手く向き合う方法を知らない。
それ故に不器用で、空回りしてしまう。
ですが、童貞と明確に違う点が一つあります

それは、行動力の差です

先程も言った通り、安達は人間関係において非常に幼く、これは本人も自覚しているところです。
ですが、その幼さ故に出来ることもあります。
幼い感覚を維持しているからこそ、他の人にはできないようなことをすることができる。
普通の人が、人間関係の中で無くしてしまうものを安達はまだ持っている。しまむらが安達に惹かれるのはそのような部分もあるのでしょう。というか、しまむら本人がそのように語っていましたね。
幼さ故の純粋さ。
しまむらもかつてはそうで、今は無くしてしまったもの。しまむらにとってはとても眩しいものなのでしょう。
だから、故郷で辛い現実と自分の過去に向き合ったとき、帰ってきてすぐに安達に電話した。
安達がいなかったらすぐには立ち直れなかっただろう、と僕は思っています。
あのシーンはしまむらが初めて自分の中の熱い物と向き合い、感情を爆発させる、物語の中ではしまむらの大きな転機だと思っています。
実際にあれ以降、しまむらが幼さを見せる描写が多くなっています。
おそらく、安達がいなかったらしまむらはそこまで変わらなかったでしょう。
しまむらは安達に自分にはないものを見ている。
それは自分の過去でもあり、しまむらは自分の過去と向き合うのを避けてきた。
しかし、しまむらは自分の過去と向き合って成長した。おそらく、安達がいなければ不可能なプロセスだったでしょう。安達の告白を受けたときも、ゴンに対する気持ちを認められていなければ、曖昧に流していたかもしれません。
実際に、安達から告白されたときに、「わたしは、ゴンが大好きだった。今ならそれを認められる。それはなにか得があって始まったわけではなく、その毛並み、無邪気さ、仕草のすべてが愛らしかった。誰かを好きになるって、唐突なことなのだ。計算とか、妥協とか、挟まる余地がない。安達の気持ちもきっと、そういうものだ。」と語っています。
「しまむらは安達と出会って成長していく」と、そんな感じのことを自称宇宙人が言っていましたが、上に書いたような事が、一つの例なのではないでしょうか。
さて、安達の話をしていたはずなのですがいつの間にかしまむらの話になっていました笑
やはり「安達としまむら」という作品を片方だけについて語るのは不可能なようです笑
きっと2人は互いになくてはならない存在なのでしょうでしょう。これまた自称宇宙人がダイナミックに語っていましたが。
安達はもちろんなのですが、しまむらにとっても安達はかけがえのない存在です。
それは、8巻の霧のシーンで実感しました。
きっとしまむらも、もはや安達なしの生活は想像できないでしょう。
いや、同時にしまむらは恐らく安達が居なくなったとしてそこまで取り乱さないようにも感じます。
きっと元の生活に戻る。つまり、以前のように毎日を漂うように過ごすだけ。
しかし、しまむらの時間はそこで止まってしまう。
現実の時間ではなく、しまむらの時間です。
しまむらは自分から一歩も動かなくなるでしょう。
今まで通り、妹や母にはそれなりに接して、話しかけて来る人は拒まない。表立って辛い顔をすることもない。今まで通りなんです。
でも、そこに変化も成長もない。
ただ現実の時間に押し流されて人生を終えるだけです。
しまむらの時間は安達と出会わなければ動かない。
これは安達も同様です。
7巻あたりの社会人になってから出会うif?を想像して頂ければいいと思います。

また話が逸れましたね
いい加減戻しましょう笑

つまり、まとめると
安達は人間関係の経験が余りに少ないが故に、不器用で空回りしてしまうけど、上手く気持ちを伝える方法を知らないからこそ、不器用で空回りしながらも、真っ直ぐに、素直に相手に気持ちを伝えようとすることができる。その幼さ故の純粋さは、普通の人は早くに無くしてしまうものなのです。
安達はそれを持っている。
まるでしまむらと出会うまで大事にしまっておいたように。
そしてもう一つ、安達がただの童貞とは違う所は、しまむらに対する想いの大きさです。
あそこまで人を好きになれることはそうそうないでしょう。
大好きだから、少しでも近くにいたい。
大好きだから、少しでも前に進みたい。
大好きだから、しまむらと過ごす今日を何よりも大切にしたい。
溢れんばかりの想いを胸に抱いて、それでも、上手く伝えられる方法を知らないから、行動せずにはいられない。想いを口に出さずにはいられない。
それで空回りして、上手く伝えられなくて、挙動不審になっても、安達は前に進むのを決して止めない。
だって、しまむらのことが、大好きだから。




と、まぁこんな感じだと思います。
どうでしょうか。
この記事を見て安達に対する見方が少し変わる人がいればいいなと思います。
原作を読んでる人からすると、割と当たり前の内容だったかもしれません。
でも、当たり前の事に今一度目を向けてほしいなって思ったのと、個人的に整理したかったので書きました。書いてる内に新しい発見もあって楽しかったです。また機会があれば書こうと思います。
ここまで見ていただいてありがとうございます!




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