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終わりに向かう季節、豊穣の季節

 長い夏が終わり、短い秋が訪れた。
 予報ではこの冬も暖冬らしく、晩秋の11月半ばに入っても日中は暖かな日が続いている。子供の頃に比べると圧倒的に夏が長くなり、冬が短くなったようにも感じる。
 日中は暖かい、あるいは暑さすら感じていても、朝夕は着込まないと寒さを感じるようになった。四季と言うほどの季節の分かれ目は徐々に崩れてきているように思うが、それでも季節は移ろう。

 秋という季節は、両極端な要素を含んでいる。滅びに向かう季節か、あるいは豊穣の季節か。
 かつて世界そのものが円環的に巡っていると考えた昔の人々は、夏を生の季節、冬を死の季節と捉え、夏から冬へと移ろい変わる秋という季節を生命を終え終焉へと向かう季節と考えた。北欧ではハロウィンの終わりからユール(クリスマス)の時期にかけて、死者の軍勢を率いたオーディンが空を駆ける「オーディンの渡り」が行われると信じられており、またカトリックで「死者の日」が11月2日に定められているのも、また秋という季節に含まれる死のイメージを暗示しているようにも思える。
 一方で、秋は夏に育った作物が実り収穫を迎える頃であり、その豊穣さを祝う祭りが行われる季節でもあった。文化的にも芸術祭などの成果が発表され、皆で楽しむ季節である。
 ヨハン・ホイジンガの名著「中世の秋」は中世後期のフランドル、ブルゴーニュの政治や文化を中心に描写されるが、そこには中世という一つの時代区分が終わりを迎える寂寥感と同時に、長い中世期を経て生み出された豊かな文化が実り結実した豊穣さを感じ取ることができる。

 好きな季節を問われると即答することは難しいが、最も心穏やかに過ごせる季節を挙げるならば、ちょうど今の11月が最も良い時季だと思うようになった。
 夏の暑さも遠い出来事になり、少し厚着すれば快適に過ごせる陽気。台風接近の心配も減り、好天にも恵まれるので何をするにも都合の良い季節である。10月では少し暑く、12月では寒すぎると感じる自分にとって、今こそが最も伸び伸びと過ごせる一時なのである。

 子供の頃、若い頃の記憶は歳を重ねるほどに曖昧となり、断片的なものしか頭に残らなくなっているが、いずれの時期も記憶に刻まれているのは晩秋の頃である。
 塾帰りの日が暮れた帰り道。進路を決める時期、将来の母校を見学して帰宅した時の部屋に射し込む夕陽。研究室で、研究とも遊びともつかない悪ふざけをしながら窓から眺めた景色。自分の車を手に入れてから、学生時代の仲間と山奥のカフェで飲んだコーヒーの味。
 いずれも秋の記憶であり、紅葉と落ち葉の記憶でもある。もしかすると、人生が盛りを過ぎて終盤へと向かう今だからこそ秋の記憶を思い出しているのかも知れない。

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