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Twitterディアスポラ

 SNSを捨てよ、外に出よう。

 2023年7月。Twitterに突然の閲覧数規制が入ったため、SNS界隈は大混乱に陥った。いつものタイムラインが見られないことを悲しみ、怒る人々。リスト機能や様々なアプリを駆使して何とか規制を回避しようとする人々、そしてMastodonなど他のSNSに退避する人々。
 自分も土曜日の朝にいきなり規制を受けて戸惑ったが、とりあえず以前からアカウントを開設していたMastodonに数ヶ月ぶりのトゥートを済ませてから外出してきた。気が滅入りそうな時は、外の空気を吸うに限る。

 2009年にTwitterのアカウントを開設してから、あっという間に14年が経った。インターネットの世界に飛び込んだのは20世紀末だが、個人サイトやブログを続けた期間よりも長くTwitterを続けている。140字という制限は、逆に文章を投稿するハードルを下げてくれたように感じている。
 Twitterの世界に入って最初にフォローしたのは、ガチャピンだった。その後は知人友人同士の相互フォローで遊んでいたが、その後に歴史ネタの大喜利に夢中になり、トレンドワードを拾ってネタを作るようになった。気がつくと、分不相応なまでのフォローをいただくようになった。
 リアルな自分は行動半径も狭く交友関係も広くはないが、Twitterでは顔や名前を知らない多くの方々と常に繋がっている感覚があり、とても楽しかった。年齢や性別など関係なく、各々が好き勝手なことを呟いては互いに楽しんでいる「空気感」のようなものを感じていたように思う。
(時折、不穏な諍いの臭いが流れてくることはあったが)

イリヤ・レーピン「トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック」
Twitter世界に抱く個人的なイメージ

 イーロン・マスク氏が買収して以後のTwitterは、それ以前のものとは大分様相が変わってしまった。今回のトラブルも、変化していく流れの一つなのだろうと考えている。規制自体はしばらくすれば収束に向かうのだろうが、収束しても以前の姿には戻らないような予感がしている。
 Twitterに対する気持ちは、開設当初の高揚感から自らのツイートが評価されることへの熱狂を経て、徐々に満足感と諦観で満たされてきたように思う。
 とはいえ、Twitterで与太話を続けていくのは純粋に楽しいので、よほどの事情が起こらない限り止める気はない。有料プランであるTwitter Blueも、現状に勝るメリットが生じれば課金するにやぶさかでない。

 Twitter以後、自分はどのように振る舞うべきか。
 自分がインターネットの世界に飛び込んだのも、個人サイトを作りたいという自己表現への欲求だった。それがブログになり、TwitterをはじめとするSNSになり、現在に至っている。それならば、今後も何らかの形でネットの片隅で言葉を発し続けることだろう。
 Mastodonは以前Twitterが不安定になった時期に、退避用としてアカウントを開設した。しかし使ってみると、Twitterとは似て非なるものであることが判明してきた。Twitterよりも緩やかで、のんびり多めの言葉を発することができる場所のように思う。言葉を発する場所が異なれば、また違った表現の形も見つかるだろう。

 民族の離散を表すディアスポラという言葉は、ギリシャ語で撒き散らされたもの(διασπορά)を意味する。ネット上を生きる我々も、離散と集合を繰り返しながらあらゆる場所で生きていく。
 ネット上を移動するのは、自分にとって居心地の良い楽園探しに他ならないが、結局のところ真に楽園と呼べるものは存在するのだろうか。あるいは、今自分自身がいる場所こそ楽園なのかも知れない。

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