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「助け合い」は感謝の上で成り立つものだ!と吠える夜。

仕事していると結構な頻度でやってくるどうしようもなく怒りまみれの日。
今日はそんな日でした。

怒りにまみれるまでの経緯

私のチームは、社内のオンラインイベント(よくウェビナーと言われるもの)を企画、運営しています。
今回参加者1000人規模のイベントがあり、同じチームの別の人(A)がプロマネをしていました。

昨日リハがあり、資料投影(PCにパワポ資料をうつす役)のバックアップ要員として呼ばれた後輩。
私は役割がなかったのですが、念のためそのリハに参加していました。

いざ、始まると、
元々資料投影の役だったAのネットワーク環境がすこぶる悪く、資料投影どころか音声も聞こえず。
急遽、気をきかせた後輩がその役を引き受けることになりました。
後輩にとっては急に巻き込まれた感じ。

そして、開催日当日の朝、
私も急遽役割が与えられることに。
といっても私の場合は、タイムキーパーと、資料投影のバックアップ要員なので、大した作業ではありません。
・・・ありませんが!
後輩同様、急に任されてることになってしまったのに、それに対する情報共有がAから私たち2人にほぼない状態。

こちらが気をきかせて動いてあげないと、情報がおりてこないのです。
「やってもらって当たり前だ」と思ってるのか知らないのですが、あまりにもひどい。
ちなみに、こういうことが初めてではないので怒りまみれになったというのもあります。

上司も(このイベント自体、トップダウンでやらされてるイベントなので、調整で疲れ果てているのかもしれませんが、)
今回ばかりは部下、特に後輩に対するフォローが雑でした。

挙句の果てに
『(資料投影役を)立候補したんだよね?』
と上司から後輩に言ってきたとのこと。
いやいや、一緒にリハにいたでしょうが!完全に急にやらされてたでしょうが!
とツッコミどころ満載な状態に。

「やってもらって当たり前」ではない

人に協力を依頼するときは、もっと密に情報連携したり、感謝の気持ちを持たないと。
仕事なんだからやってもらって当たり前、
では誰も着いていきたくなくなります。

上司はよく『助け合い』の話をしますが、
これは、『助け合い』じゃない。
『助け合い』を押し付けないでほしい。
それを言われると、まるでいつも何もしてないかのように責められているようで、
こっちが悪者に感じてしまいます。
正直人間ですから、感謝あっての『助け合い』です。

結局、「動いたもん負け」なのか?

気をきかせて率先して動いた人たちが、「動いたもん負けだ」と思う働く環境ってどうなんだろう。
大企業あるあるかもしれません。
でも、そんなの悲しく、悔しく、虚しい。

誰もが主体的に働く時代に突入し、
『助け合い』の気持ちが言わずもがな自然と広がって、
個人、チームをより良い方向へと導く。

これは夢物語なのでしょうか。
諦めの悪い私は、
もやもやイライラしながら
それでも模索してしまうんだろうなと思いました。

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