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心理的安全なチームは、存在するのかな。

またもや忙しくて書けてなかったー。
時間を捻出するのも仕事のうちだとしたら、
ちょっとうまくまわってないのかもしれないです。
見直さねば。

そんなお久しぶりの今夜。
もやっとした話。

心理的安全性の社内横断プロジェクトに参画中な私。
日常においても心理的安全性についてよく考えることが増えました。

毎週、または隔週で訪れるプロジェクトの打ち合わせ。

最初はやりたくて始めたはずなのに、
最近億劫になってる自分がいます。
本業削ってまで参加してるのにね。

それは、手あげて集められたメンバー数名との感覚の違いをとても感じるから。

かなりざっくり説明すると、
心理的安全性をデザインするという名のもとに
色々なフレームワークを使い、
(正直、使わされて)
グループ毎にソリューションを考えていくというプロジェクトです。(私の認識では)

そもそも心理的安全性を高めることを
ファーストステップと考えていたはずなのに、
グループで話を進めていくと
「集めたデータを可視化しないと、上の人を説得できない。」
「エンゲージメントをあげるには?」
という話ばかり。

心理的安全性を高めた先で
必要になるかもしれないことを
今話し合っても何もうまれない。
むしろ閉じていってしまうと思うのです。

だって、心理的安全性って
結局は人の気持ちが大いに関わってくると思うから。

そんなもやもやを抱えながら、
それを打破する気力もなく
時間だけが過ぎていく。
私ももったいないや。

割り当てられたチームメンバーは、
「このチームみたいに心理的安全性が高ければ何も問題ないんだけどね〜。」と言います。

でも、少なくともチーム内の1人は
心理的安全性が低いって思ってるんだけど。
それに誰も気がついてないことが
もはや問題では。

そうやって色んなことを考えるうちに
思ったこと。

それは、
『心理的安全性が高いチーム』
というのは存在しないのかもしれない
ということ。

心理的安全性が高いか低いかは、
個人個人が決めることであり
客観的に見ることは難しいから。

もちろん、
サーベイで聞いてみて、全員が「高い!」と答えたら高い!ということになるとは思いますが。

心理的安全性を高める過程のものを
データ化しても
そこで何を得たいというのか

その辺を
どうも履き違えているんではないか

と、すごく思った1日でした。

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