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人と関わる上で大事にしていること

去年上京して、社会人になり、職場でもプライベートでも関わる人がガラっと変わりました。加えてアウトゴーイングな性格ゆえ、スポーツしたりイベント参加したりして、年齢も国籍もさまざまな人と出会ってきました。

楽しい反面、人との関わりに難しさも感じています。どのように人と関わるべきか。自分なりに考えて出した答えは、「自分でジャッジする」「期待しない」です。

自分でジャッジする

噂や第三者の意見は、話半分で聞いておく。全くの嘘ではないけれど、真実とは言い切れないと理解しておく。例えば「アイツとは遊び人だよ」と絶対悪な存在かのように吹き込まれたとしても、100%正解とは言えないし、そもそも「遊び人=悪」なのかという疑問がある。遊び人にもいろんな種類があるし。

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私たちは職場、家庭、その他仲の良いコミュニティ、または友だちA、友だちB、恋人など、いる場所や相手によって見せる顔が変わるはず。そして環境や相手によって、良い部分・悪い部分はいくらでも引き出せる。

仮にAさんから「アイツは悪いやつだよ」と言われたとしても、単にAさんが「アイツ」の悪い部分を引き出しているだけかもしれないし、悪い部分にしか注目できていないだけかもしれない。Aさんがいう「アイツ」も、Aさんとはたいして深い仲ではなく、適当に接している可能性だってある。

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だから、ではないが、誰かの印象を持つときには、実際にその人と話して判断したいと思っている。決して第三者からの意見に揺さぶられたくない。もし嫌な思いをするとしても「自分がジャッジしたから」と、割り切れる気がするから。

逆もしかり。悪い印象を吹き込まれたとしても、実際に話して好感を持てば関わりつづけたい。その人を「良い」と感じるなら、直感に従いたい。

期待しない

不安や不満、悲しみのいくつかは、人に期待をすることで生まれると思う。「〇〇してくれると思ったのに、してくれない」という不満、「明るい未来を想像していたのに音信不通になった」という悲しみ(ちょっと大袈裟だけど)。

「他人はコントロールできない」が鍵。人に期待したところで他者をコントロールできないから。他力本願になってしまう。それで不安や悲しみが生まれて、かつ期待をしていた分、落差でショックが増長されてしまう。

期待をしなければ(断っておくが「人に諦めの感情を抱く」というネガティブな話ではない)、期待したであろうことが実現しなくても「そんなもんか、残念だけど、それほど悲しくない」と、ドシっと構えていられる。そのほうが精神衛生上良いし、私が理想とする「余裕のある人」に近づける気がする。

最後に

みなさんは人と関わる上で何を大事にしていますか。自分の魅せ方や考え方、大事にしたい人、したくない人など、なんでも良いので聞いてみたいです。引用して話のフックにしてもらっても構わないです。

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