東谷隆司

池田信夫@ikedanob·3時間
1990年の日本は、世界を制覇するともいわれた超一流国だった。彼女はその時代に生きていたはずだが、もうボケたのか?
引用ツイート

上野千鶴子@ueno_wan·10月13日
つまり32年前の二流国に戻ったということだ。これは人災だ。誰の責任か? 円急落、一時1ドル147円台後半に 32年ぶりの歴史的円安水準 | 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20221013/k00/00m/020/448000c
https://twitter.com/ikedanob/status/1580935846655451137

90年の私は個人的に、学生だったが、世界の経済的超一流国と言っても、だからと言って何も素晴らしいと思う記憶は一つもない。

周りの同級生は、卒業と前後して慌ただしい動きがあった。付き合っている(主に学内の)恋愛対象の、取っ替え引っ替えとか。これは、普遍的な現象のようだ。ゼロ年代に名古屋芸大で教えた学生の卒業間際の見聞した行動にも全く共通した。
おそらく90年代初頭から始まった、リュックに作品ファイルを入れ、名刺を携え人の展覧会のオープニングパーティやアートフェアの会場を徘徊するというスタイル。これを先日もツイートで触れた同級生らが始めた。雑誌への直接的な自己の売り込みなども。まさに資本主義まっしぐらの方向。血眼な。それ以前はなかったという、リュックを背負ってアーティスト志望者が徘徊するというスタイルは、知己のギャラリストによれば。

私はそれを白い目で見ていた。唖然としていた。私が思っていたのは、芸術はそんなに簡単にはできないということ。時間が必要だと。どんな長い時間か、私にはその時点では見当もつかなかったが。

実際に彼らが作っていたものは、牛乳箱に物を詰め込んで展示したり、手の込んだ猥褻風味のマンガ・イラストの類。根底には、「芸術破壊」がある。できるだけ真面目ぶってふざけたことをやろうという、暗黙の集団的了解。先人(全共闘世代)が作った左翼=サブカル路線に乗ることが、彼らは生きる道だった。私は、こういうことを続けていけば、いずれは「ただではすまない」ということを直感的に明確に感じていた。「底が抜けたアート」を資本主義的に快楽的に、そして「自己実現」を楽しんでいることを超えて、実際にシリアスにその立っている現実的底が抜けると。

その「ふざけた真面目」表現に、中心に「資本主義批判」を混ぜていくことは、西欧での一種のアートのお約束だと、村上隆氏は語る。それで、資本主義的に流通すると。アイロニー表現の(またの名を自家撞着。あるいは自己に「ジレンマ」という美名を与える)形式の完成。これを紋切り型と言う。

「底が抜けたアート」、あるいは脱力系という言葉もあったが、そこに入る例えばアメリカのマイク・ケリー一人とっても、単純ではない。実際にケリーは「私はサブカルチャー(ポップカルチャー)は嫌いなんだ」と対象とするものへの距離感を表現している。「しかし、それが自らの環境(=支配的文化)だから、それを美術の素材として使うのだ」と。ケリーはデトロイトの(カトリックの)労働者階級出身。歴史や社会に対する視覚的・奥行き感がある。それは、紙芝居のような歴史ではない。いわば、身体化された歴史。

マイク・ケリー「デイ・イズ・ダン」
https://www.youtube.com/watch?v=R6Q4ujTYZ6E
(0:42~)

日本人アーティストにはこの対象への距離感・奥行き感がない。そのほとんどがべったりとサブカル好きであり、その彼らの対象とは、私の表現ではコンタクトレンズのように自らの眼球にべったりと張り付いた類のものだ。

立っている現実的底が抜けるとは、現実的に人が死ぬということですね。この間も、多くの身近な同世代の現代アート界隈・関係者が、精神・身体をひそかに病み若年にして死んでいった。ちなみに明日は10年前に自死した下級生の学芸員・東谷隆司の命日。東谷隆司も、現在の私から見て、べったりとサブカル好き、そのものであった。しかし悶え苦しんでいた。晩年、ベートーヴェンの第9の歌詞(シラー)の一節を入れ墨したいと私に語っていた。その一節は。

一人の友の中の友となる
偉大な成功をおさめた人よ
美しい妻を伴侶にした人よ
喜びの声を一つに混ぜ合わせよう
そうだ、地球でたった一人の人間も(喜びの声を一つに混ぜ合わせよう)
そして そうできない人は 出ていけ
泣きながら この結びつきから

東谷は、これを「芸術の神の恩寵を享受できない者は、泣きながら去やがれ!」と、自己解釈して私に語った。

私自身衝撃で、東谷の逝去した日をずっと覚えられなかったが、10年目の今、正確に初めて確認した。

東谷隆司死去(1968-2012)

2012年10月16日、インディペンデントキュレーターの東谷隆司が亡くなった。享年44歳。葬儀は近親者のみで行なわれた。
東京藝術大学大学院修士課程修了後、世田谷美術館、森美術館キュレーターなどを経てインディペンデントキュレーターとなる。主な展覧会企画に『時代の体温』(1999年、世田谷美術館)、『大竹伸朗:ダブ景』(2000年、KPOキリンプラザ)、『GUNDAM 来たるべき未来のために』(2005年-2007年、サントリーミュージアム天保山ほか巡回)など。『釜山ビエンナーレ2008』でキュレーターを務め、その仕事ぶりが評価され『釜山ビエンナーレ2010』ではアーティスティックディレクターに任命された。

(文中敬称略)
https://www.art-it.asia/u/admin_ed_news/u1haqrxeo6w874rgou3h

Beethoven: Symphony No. 9 | Daniel Barenboim & the West-Eastern Divan Orchestra (complete symphony)
https://www.youtube.com/watch?v=HljSXSm6v9M

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