私の戦争観

「どうせ負ける」と無意識的に分かっている戦争に一体感を幻想の中で求める(=エゴ)為にだけ、全体を巻き込むべきではないと私は思う。言うならば、日本人全体が自閉症児ではないので。


以下、関連する雑記。


(特に)日本の文化人は「平板」な人格な人が圧倒的に多いが、そういう人が自身の例えば「天才」コンプレックスを語る時に「モーツァルトとか、手塚治虫」と言う印象は私はありますね。根底に芸術をデザインと錯誤する。ベートーヴェンとかシューマンとかレオナルド・ダ・ヴィンチと絶対に言わない。

デザイン的で平板なものは子供の食べ物のようにするっと入ってくるから心地よい。話も同じ。三島由紀夫は「私はとにかく安心している人が嫌いだ」と言ったが、自身がデザインしか分からない平板人間だから、周りにチヤホヤされて最後ああいう形になる。

こういう基盤が「ナショナリズム」を形成した時に(例えば前のように戦争に突入するなど)、最も危険だと思う。


参照。

日本は「戦争」に弱い|加藤 豪 https://note.com/naar/n/n0558d814e1e6?sub_rt=share_pw #note

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