「言論」の「絶望論」|ウクライナ侵攻について

オマル マン氏との対談、第29回目。

K「オマル マンさん、こんにちは。ウクライナ情勢について。それへの識者の反応から主に考える。参照、池田信夫氏。」

池田信夫@ikedanob·2月25日
経済制裁は空砲。ロシアは制裁慣れしているので、中国と協力すれば乗り切れる。
引用ツイート

ウォール・ストリート・ジャーナル日本版@WSJJapan ·2月25日
対ロシア金融制裁、SWIFTは高いハードル
#ロシア
https://jp.wsj.com/articles/punishing-putin-through-swift-is-thorny-11645765282
https://twitter.com/ikedanob/status/1497079996107526144
池田信夫@ikedanob·2月25日
まさに今回のような事態を恐れたから、ウクライナはNATOに入ろうとしたが、NATOがいやがって時間を空費しているうちに、プーチンが先手を打った。ウクライナには気の毒だが、戦略的には正しい判断だと思う。
引用ツイート

往相還相@ousou_gensou · 2月25日
「NATOに入ろうとしたからプーチンロシアに侵攻の口実を与えた」と「NATOに入ってなかったから侵攻された/援軍が来ない」ことが重なってますよね……。
この展開ではない別の可能性はなかったのだろうか。
https://twitter.com/ikedanob/status/1497018964685504513
池田信夫@ikedanob·2月24日
「プーチンは無謀だ」とか「不合理だ」という批判が強いが、彼は合理的に計算している。西欧の基準で「いい人」ではないが、損得勘定でみると、この戦争はローリスク・ハイリターンの賭けだと思う。
引用ツイート

アゴラ@agora_japan · 2月24日
【新着記事】池田 信夫:ロシアのウクライナ侵略で「天然ガスショック」がやってくる https://agora-web.jp/archives/2055270.html
https://twitter.com/ikedanob/status/1496845817931792384

「池田信夫氏の場合、「プーチンの合理性」を解釈し、理解する姿勢を一部示すのは、池田氏のハイエク読解にも文脈がある。」

池田信夫@ikedanob·2月25日
「民族自決」という原則を決めたのはレーニンで、これは植民地を味方につける戦術的な意図しかなく、世界革命という目的と矛盾していた。プーチンは「スラブ世界革命」というレーニン的理想を実現する途上なのかもしれない。
引用ツイート

opqr@opqr5 · 2月24日
これは本当にそうで、おそらく1960年頃に成立した「独立」「主権」が異様に重い時代が、今回のウクライナ侵攻で完全に崩壊しました。これがあったればこその植民地の独立であり、まがりなりにも60年以上武力による国境変更がほぼ起きなかった理由だったのですが…

池田信夫@ikedanob·2月25日
プーチンから感じるのは、レーニンやスターリンの伝統だ。社会主義の悪夢は20世紀に終わったと思っていたが、あれはアジア的専制にマルクス主義の化粧をほどこしただけかもしれない。つまり最悪の時代はまだこれから来るということだ。
https://twitter.com/ikedanob/status/1496875182400876544?fbclid=IwAR09h4thAdWwGzs5HWzgQ4h-E-Uvd_t75LddkcGbtC8-QgJ_GiddLXLdkLs
致命的な思いあがり|池田信夫 blog
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51301145.html

部族感情を大きな社会全体に拡張したものが社会主義だが、その失敗は本書の執筆時点(1980年代後半)ですでに明らかだった。「日本的経営」は、部族感情をうまく価格メカニズムと接合した成功例といえようが、それも90年代に挫折した。

だからもはや選択の余地はなく、法の支配によって社会を統治するしかない、というハイエクの結論はおそらく正しいのだが、彼は価格メカニズムが人々の自然な感情に合致しないことが、そのうち市場経済を掘り崩すかもしれないとも示唆している。こうした不安はシュンペーターも表明したもので、昨今の通俗的な「市場原理主義批判」をみていると、部族感情によるレトリックの有効性は大きい。それは本能に訴えるからだ。 

O「加藤さん、こんにちは。これは、とんでもないことが起きていますね。」

K「そうですね。」

O「ただ、今取り上げていただいた知識人たち[注:加藤により他にFacebookで]、の、暫定的な意見...にはどれも、どうもしっくりきていない。本音として。誰も、頼りにならない。加藤さんがいうように、ハイエクに立ち戻って、」

K「Twitterには大別すると池田氏に見られる「プーチンの合理性」を語る見方と、「何が目的なのかはわからないが」という留保付きの意見、また「プーチンの狂気」を語る見方がある。」

O「奴らはこの件も「政治利用」している勢力という風に見えてしまうんですよ。ポジショントーク。今、トランプ騒動の時を思い出しています。加藤さんが取り上げていた人達は、頼りにならない奴らだった。」

K「まさに。池田信夫氏は、原発関連に直にコミットがあるので。」

O「池田は、ある「例示」の典型としては恰好かもしれません。佐藤優なんかも同じ理由で。国内に関していえば、分かりやすく「力学」が発動していて、今まさにメディアでその様相を呈している状況。逆を言えば、そのレベルの理解しか得られない。国内のメディア有名人を眺めても。」

K「それと、上記ブログは2009年ですが、末尾の「ハイエクは一貫して合理主義を批判してきたが、部族感情を否定して法の支配を説く点では合理主義者だった。ところが最晩年の本書では、無神論者の彼が「コミュニティを存続させている道徳や価値の人格化」としての宗教の価値を認め、こうした精神的統合が可能かどうかに「われわれの文明の生き残りがかかっているのかもしれない」と結ぶ。しかし彼が大きく貢献した部族感情を破壊するカタラクシー(交換社会)への進化は、逆転しないだろう。その意味では、われわれは――好むと好まざるとにかかわらず――ハイエクの時代に生きているのである。」のところの記述にも、穴があると私は感じた。」

「ハイエクが語った「宗教」また「伝統」は、正確には「文明」以後のものと捉えられるべきで、例えば「アニミズム」は部族社会の属性として、むしろハイエクは一貫して否定的に捉えていたものだと私は思います。」

「上述書、最終部参照。」

フリードリヒ・ハイエク『致命的な思いあがり』(1988年)

第九章 宗教、伝統の守護者

1 伝統の守護者からの自然選択

p.209
長らくこの個人的な注記をここに盛りこむべきかどうか迷っていたが、最終的にそうするのを決めたのは、自称不可知論者による支援が、宗教的な人びとがわれわれも共有する結論をもっと躊躇なく追求するのを助けるかもしれないからである。おそらく、多くの人びとが神について語るときに意味しているのは、まさしく、自分のコミュニティを存続させている道徳や価値の伝統の人格化なのである。宗教が人間風の神性に帰している秩序の原因──部分にたいして、全体のなかでどうふるまうかをうまく教えてくれる地図や手引き──を、物理的世界の外部にあるのではなくその特徴の一つ、すなわち極度に複雑であるがゆえに、そのどんな部分にとってもけっしてその「イメージ」や「画像」を描くことのできない特徴のうちに見ることを、われわれはいま学んでいる。それゆえ、偶像崇拝つまりその手のイメージの作製にたいする宗教的な禁令はもっともである。しかしおそらく、ほとんどの人びとは抽象的な伝統をもっぱら人格的な〈意思〉としてしか考えられないのである。だとしたら、あからさまな超自然主義が迷信として排除される時代にあって、人びとはこの意思を「社会」のなかに見いだしたくなるのではなかろうか。
われわれの文明の生きのこりはこの問題にかかっているのかもしれない。

「(追記:特にこの最後の一文、「われわれの文明の生きのこりはこの問題にかかっているのかもしれない」は、意味深長に受け取られるべきだと私は思います。ハイエクは単純に「部族社会」や「社会主義」への逆行を語っているのではない。)」

O「そうですね。ちゃんと読むべきでしょう。知識人たちに言えるのだけど本当に「読んでる」のかな? 私は、キッシンジャーの「外交」をまるまる通読したことがあるのです。一行ずつ。声に出して。1000何百ページくらいあった。」

K「ここが、池田氏はごっちゃになっている(?)。」

O「前も言いましたがハイエクの「源泉」になっているのは、中世以降の地中海世界のキリスト教、ユダヤ教への深い知識と洞察です。」

K「池田氏は、身についた「速読」?「飛ばし読み」?」

O「乱読なんですかね。」

「今回のウクライナの件、キッシンジャーの「外交」で十分、というのが私の立場です(前も加藤さんに言いましたけど)。今後起こることも。おそらくキッシンジャー博士の洞察がもっとも参考になる。」

K「本質は「テクノクラート的」という視点ですね。」

O「そうですね。拡張主義と機会主義。もうひとつ、ロシアの密かな欧州へのコンプレックス。他方、今の時点で、今後また代理戦争のようなことが起こる、云々というのも早計というものです。さっそくそのような論調が出てますが、ちょっとそれは待てと。」

「「東さんのプーチンは悪...という判断は私は信頼しない」、という池内のツイートはけっこう深い。」

Satoshi Ikeuchi 池内恵@chutoislam·2月25日
僕は東さんの政治全般(ミクロな職場の政治とかも含めて)に関する判断を尊重するが信頼してないんだけど、今これを言う必要のある相手はどこかにいると思う(私とは無縁の聴衆だが)。もっと重要なのは、ゼレンスキー政権が排除され、傀儡政権が宣伝を何年も続いた時に何を言うかですね。
https://twitter.com/chutoislam/status/1497023887447506948?fbclid=IwAR0jI4CqaGYF2AI-3wom6yZNjlGm63nYaYJEZJkYt6xRHG0Km8iCTJM190Q

「キッシンジャーの外交を振り返ると、アメリカもロシアも、その最高峰のインテリジェンス機関をもってしても、常にその判断はその都度、大間違いだったと。大間違いを繰り返しながら、20世紀後半は形成されていった。「プーチンは合理主義、深慮遠謀であり、自分しか持ってない秘密の計画とレシピがある」という言説。これは、嘘というものです。プーチンだって知っている。20世紀の過ちを。」

「ロシアの本質は「臆病」。臆病なDV夫みたいな国。」

K「国民性が関係ある?」

O「フランスにもドイツにも、最終的には勝利しているが都度、数千万という犠牲を払ってきた。その歴史もあるでしょうし。じつはこの国は威張っているが、たいして強くない、ということをみんなしっている。」

K「そうですね。(話は飛びますが)「性的」にも幻想がある? 「おそロシア」とかも、一種のギャグなのか? 日本人の、外部への「野蛮性」の投影が機能している?」

O「その可能性はあるかも。もちろん。そういう空気が醸成されている。まさに「時代」が変転してきている。」

K「どこかで。正に「なんちゃって」的に。政治の具体面からは、ここは外れた議論になりますが。」

O「政治の季節?」

K「日本人も、文明的に既に十分に「野蛮」だと思いますが。臆病さも、同時に。」

O「いや、あるかも。トランプの時から、勘付いていたが。」

「三島由紀夫の亡霊というかミニ三島みたいな人が、目立ってきている。そういう「感受性」が復活の兆し。私は、この件でもそうですが「若者がどうなるのか」、非常に興味があるんですよ。」

K「三島由紀夫の広く世間へのデビュー作『仮面の告白』は、確か冒頭の引用のエピグラムに、ドストエフスキーではなかったか?」

O「そういう「感受性」を、今の若者たちが持てるかな?という興味がある。」

K「『仮面の告白』は「感受性」の塊ですね。」

O「うん。あれの愛読者は左右問わず。」

K「「触らないで」「あっ!」みたいな。」

O「本当に才能ある奴が、どうでるかですね。私は冒頭で「信用ならない」といったのは、どれも「困っている」という態度だからなんです。東とか池内とか。」

「ウキウキしている人間が出てこないかなと。今回のウクライナの件、モギケンのリアクションは、けっこう好きなんですよ。」

K「池田氏は興奮しているが。「戦争に真っ先に駆けつけるタイプ」(オマル マンさん談)。」

O「池田は(笑)。あれの弱点は、やっぱ戦後すぐ生まれってことかな。彦坂世代ですね。」

K「彦坂尚嘉さんと同じ。」

O「三島由紀夫の時代に、間に合わなかった世代。間に合わなかったというか、乗り遅れたというか。」

K「そうですね。その隔絶が。三島以後は、肘で他者を押しのけて生きるような身体性の染み付き。」

O「この時代に、真に身体的に呼応するのは若者かもしれませんね。今の10代、20代。」

「ちなみに今の10代はSNS離れが加速しているらしい。」

 K「モギケン、動画でやたら走っていますね(岡山で)。おそらく大した距離。」

(以上、2月25日対談分。以下、2月26日)

O「ウクライナ、一日ごとに衝撃的な事実が出てきますね。一方で、「衝撃的」といっているのは、あくまで日本人だからとも感じています。つまり日本人の考える「統治」と、ロシアやウクライナの考える「統治」はずいぶん異なるようだ、と。国民が期待する政府の在りようとは何なんだろうなと。」

「ロシヤやウクライナを「非民主主義的だ!」と非難するのは、ズレているのだろうと思うのです。ロシアもウクライナもあくまで民主国家なのですよね。」

「その点は、茂木健一郎も最近の動画でいってますが。ロシア国内でも「プーチンは間違っている!」と声を上げる市民も少なくない。」

「YOUTUBEでも在日ロシア人が「もう我慢できへん!」と声をあげている。」

【緊急】ウクライナ侵攻、ロシア人としてもう我慢できません。許されないことです。
https://www.youtube.com/watch?v=z4ng7rraJkM&t=157s

「端倪すべからざるのは「若者たち」かもしれない。ポジショントークにかまけている期待薄なおじさんたちは、とりあえず「無視」で。今まさに惑星規模で、文明が大きく動いている。」

「コミュニケーションが決定的に変わっているのはもちろんの事、さらには「市民感覚」も新しい。新しい人類が、もう出てきている。在日ではありますが、侵略側の国の市民が、SNSを通じて、「プーチンお前!嘘ばっかやん!ええ加減にせえや!」って。このような映像そのものが、人類有史はじめての事柄として私は受け止めている。」

K「「個」ということですね。」

O「個ですね。そして個から伝染力のパワーの強さ。」

K「これまでここで語られた「インフルエンサー」とは違うもの。対極。それを考えさせられる。」

O「ええ。仰る通りです。今まで語られてきて、インフルエンサーという「断絶」ではなく、むしろ「歴史性」。歴史性のなかの「正統さ」がある。具体的に、人々の態度を変える力が、違いすぎる。」

K「インフルエンサー(=「症状」)は、「個」の断絶をしていると。「一様化」しているということですね。識者のポジショントークは、「多様性」の擬態?」

O「上記のロシア人などは、そのまさに「一様化」の反対の方向の力を促しているように思えてなりません。」

K「促していますね。緊張感を持って。」

O「識者の話も結局は、「一極化」への方向性だったのですよ。今までは。安倍政権がなぜあそこまでの長期政権だったのか?ということを改めて考えた方が良い。インフルエンサー、識者がグルになった「一様化」の症状としての10年代。やけに「素直」だった10年代の日本人。」

K「「ゲンロンプロレス」。」

O「ゲンロンプロレス。まるで80年代ですね。」

K「そうですね。圧縮して、固まっている。」

O「上記の繰り返しになりますが、イケてる10代はSNS(というかTwitter)を使ってないというような話も。」

「感受性が高い若者は「うんざり」しているのでしょう。SNS。このままだと、池田信夫、あずまん、みたいな、お喋り爺の老後のアイテムみたいになるかも。一方で、「個」としての若者が出てきている。個としての若者の特徴は、若者同士でクラスタ化しているということ。それらの存在は、常に「業界」外にあるので、なかなか気づきづらい。」

K「池田信夫、あずまんを地続きとして語るのはとても面白い。これまでは、それぞれがスルー=「逃走」、結果、茂木氏が語る「部分バカ」の楽園だった。」

O「「部分バカ」って茂木もブーメランだと思うけど...笑」

 K「「戦後」に遡ると、特に団塊世代以後は、「感受性」を無くす方向が、生き残り=生存につながっていたと見ることができる。」

O「家に一台のテレビ(もしくはラジオ)が頼りの世代です。」

K「『仮面の告白』の三島自身が、自身の30歳代以後、「感受性を靴の底のようにすり減らさなければならない」というスローガンを持った。下の世代が、それに従った。」

「『仮面の告白』の冒頭のドストエフスキーのエピグラムを思い出しました。確か「人間は自分の痛いところばかり人に話したがるものだよ」と。」

O「「一様化」のウルトラパワーを享受した世代ですから。骨の髄までしみ込んでいる。」

K「正に「団塊」。」

O「まさに、「政治」と「産業」の団塊の蜜月。蜜月野郎の亡霊がTwitterに跋扈している。」

K「80年代以後の「新人類」もそうなんですよね。必ず陰で、団塊世代とペアになっている、染みついた身体性を持っているので。」

O「茂木なんて、最近我々の対談を目撃した影響?なのか、「コネが一番!」とか言い出した。」

#情熱脳教室 実力主義の世の中だからこそ大いに #コネ をつかおうぜ!
https://www.youtube.com/watch?v=NApc50wMGhw&t=178s

「加藤豪の凄まじいボディブローが効いているのか。」

「爆笑級の居直り。でも、こやつらも安心できないのですよ。アメリカ次第では。」

K「アメリカ次第では?」

O「アメリカやヨーロッパの安全保障の傘から、ずっといられるのか?と。例えば、日本がですよ、経済的に「世界経済の足を引っ張っている国」になったら、、、どうなるのか?というと、もう私には真っ黒な何かが見える。」

K「真っ黒は、見えますね。」

O「皆、30年後には中国語を話しているかもしれない。いや、ロシア語かも。」

K「茂木健一郎も?(笑)」

O「茂木は頭よいので、YOUTUBで中国語で習近平を賛辞してそう。完璧にマスターして。」

K「(笑)」

O「だって、世界経済の足を引っ張っている国にならない未来の方が、想像できないのですけど...。どういう筋もないですよね。アメリカにとってのお荷物の未来しか想像できないのですけど。キッシンジャーが描いたモデルはグローバル資本主義を前提とした包括的な世界防衛線みたいな話だったけど、でも今のアメリカでは、もう絵空事みたいになっている。どうやろうと局所的な施策しか打てない。そうなると、アメリカは介入しない、、、という方向性しかない。日本が打てる最大の「国防」は、アメリカにとっての「経済島」としての役割を全力で果たすことになるけど、そんなうまいこと、いくのかなと。」

K「上記、茂木氏の来歴を裏打ちするリアリティではあるんでしょうね。その点、九州大からカリフォルニア大に留学した『絶望論 知と物欲の不良債権処理』(晶文社、2004年)の著者・清田友則氏も、「SNSで命を捨てるほどに愚か者ではある。」と自認しつつ、似たような経験を語っていました。その「コネ」=「経歴」の副作用として、例えば九州大時代に知った学部(または研究室)内での教授職のセクハラ問題に、自分は口を閉ざしていたという、罪の意識が年数を経ても、経歴が上昇するほどに、自己を責め苛むと、告白をしている。」

O「いじめを受けたトラウマって、癒えるのかな? 毛沢東の自伝でも、無名時代にインテリの従僕みたいな身分だった時期があるんですよね。その頃は記述があまりに簡素で、語られてなかった。後年、インテリを大量殺りくした。文革。」

「権力者にとっては、下のものを意に従わせる過程で、「この野郎!」て言われたら負け。普通の人は「はい...」。99%は「ハイ」と従う。それは才能のレベルなので、できない人がどうあがいても無理ですよね。絶望。」

「そのとき「ハイ」といってしまった者は、ずっと一生その傷を引きずっていく。」

K「傷を舐めなから。ジジェクの著書のワグナー『パルジファル』の引用箇所。「傷を癒すのは傷つけた槍である」。」

「清田氏が知り合った当初、私に盛んに読むように勧めてくれたのがジジェク。」

O「主体への渇望ということか。今の40~50代、あまねく全員にあてはまる脅威の話ですね。」

K「「ハイ」と言って、「主体」になれと。」

O「転倒している(笑」

K「そう、一番恐怖している対象を、従わせたいという。」

「「知識人」の欲望。「欲望」の宗教、ラカンが、機能した0〜10年代前半。」

O「身体性があれば、」

K「そこを超えられる。」

O「そうですね。強情にやっていける。剛情に進んでいける。」

K「茂木健も。」

O「圧力をはねのけることができる。」

K「「圧」に向かっていますね。」

O「向かってますね。口で言ってますね。そういって、自分を鼓舞している。」

(同日、半日後)

上記ハイエク参照及び、加藤・追記箇所「特にこの最後の一文、「われわれの文明の生きのこりはこの問題にかかっているのかもしれない」は、意味深長に受け取られるべきだと私は思います。ハイエクは単純に「部族社会」や「社会主義」への逆行を語っているのではない」について。

O「「あからさまな超自然主義が迷信として排除される時代にあって、人びとはこの意思を「社会」のなかに見いだしたくなるのではなかろうか。」「ハイエクは単純に「部族社会」や「社会主義」への逆行を語っているのではない」、...古典的自由の主張としての、統治の制限という方向ではなく、それが反転して主体となり統治を道具として使っていくという、前の対談で、加藤さんが仰ってましたね。」

「私は無学で英語もあまりできないので国内のことしか分かりませんが、少なくとも多くの人たちは、民主主義というものを理解できていない。理解しているつもりかもしれないが、それは子供じみた理解に終わっている。民主主義は、民が偉いということだ!というような。大前提だが、そうではない。民を「統治」する強力な政府を、民が選ぶ、ということが最も大切なのに、それは理解できない。」

K「「...古典的自由の主張としての、統治の制限という方向ではなく、それが反転して主体となり統治を道具として使っていく」、この箇所、私はフーコー参照ですね(コレージュ・ド・フランス講義『生政治の誕生』)。」

O「そうですね。今、パッとその言葉が浮かんだ。」

K「ハイエクの上記参照箇所(最後の部分)に繋がりますね。」

O「近代以前、たしかに「伝統の守護者」がいたのだ。今はどこにもいなくなってしまった。ほとんどの人間には、歴史の重層性は理解できない。親も。その親に育てられる子供も。」

「つながりますね。現代の、もっとも「痛い」部分です。」

K「ウクライナはどうでしょうか。この姿勢。現在の。」

O「今のウクライナ政府を選んだのは、まさにウクライナの人々ですが、そういう言い方をすれば総バッシングを受けるのでしょうね。特に、国内では。つい10年ほど以前は、親露の政府があった。それを倒したのもウクライナの人々であります。ならば、プーチンは非人道の権化の悪魔なのか?というと。プーチンを選んだのはロシアの人々です。すなわち「民主主義」。」

「日本(人)が世界の前線から、はるかに遅れているのは確実です。」

K「そうですね。「言論」「多様性」の偽装。」

O「偽装ですね。そして「動員」への希求だけ。」

「ここまでいうと、国内に限って言えば、「全員皆殺し」になるけど。でも、その通りなので。」

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