豊田市美術館の現代日本における象徴性

ボイス+パレルモ
https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/beuys-palermo2021/?fbclid=IwAR3PL-YabPtuCvMr1_z4UHSHFGSiiHmePuArJcPeDYA0RlQe9AU12XSpFw4fbclid=IwAR3PL-YabPtuCvMr1_z4UHSHFGSiiHmePuArJcPeDYA0RlQe9AU12XSpFw4

豊田市美術館でボイス+パレルモを開催していて、地元で私は距離的に近いが、足を運んでまで見る気にはならない。しかし、豊田市美術館に象徴されるものは、私の主な分析対象である。分かりやすく言えば、’80年代以来の既に失効した古い左翼文脈なんですね。ここにあるのは。日本の美術館学芸員の多くが、ここに端を発している。金沢21世紀美術館の長谷川祐子氏もそうですね。私が’80年代に東京芸大絵画科油画専攻に学生として在籍時に、肌で感じていた空気もそういうものでした。それを直接的に表していたのは、ヨーロッパ帰りの工藤哲巳さん(私の同大学院、当時担当教授)というよりは、(私の学部3、4年時の担任)榎倉康二さんです。

総体的に大きく言えば、戦後の日本美術の根底にあるのは「反米」。これが裏目に出てくるのが、これからだという私の見方です。20世期後半以後、美術の中心はヨーロッパからアメリカに明白に移ったのだが、精神分析的に言えば、日本人はこれをあまりにもあからさまに「抑圧」してきた。それを表しているのが、上記の例であるということです。アメリカの優れた美術の蓄積を見ずに、日本人にとって親しみやすく心地の良いヨーロッパ(ここではドイツ)のアートの「デザイン」性に心理的に逃げているということです。この長年の日本の精神傾向における蓄積とさらなる延長が、壊滅的な結果をもたらすというのが、私の美術家としての見方です。

端的に言って、物理的に(敷地的にも)これだけ立派な豊田市美術館という公共施設において、私の観点からは美術を志す人が見て勉強になる現代的な対象物は、ほとんどないと言って良い。見るなら、エルズワース・ケリーであり、ロバート・モリスであり、ロバート・スミッソンであり、その他、後続としてのアメリカのポップアートの歴史なのです。今後も、糧になるのは。これらを一つも買ってこなかったという固着した姿勢は、今後の日本の美術の行く末に必ず大きな打撃をもたらす。

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