フィリップ・ソレルス

フィリップ・ソレルスの『公園』だったか、愛知県図書館で大部コピーして、ロンドンに渡る前の時期の同級生・徳富満にそういえば私は渡したりしてたな。あの時点で、私も明確に「ポエム」だったと言えるか。英米から馬鹿にされるフランスの。「官能的な」(by彦坂尚嘉)。

徳富が自分の作品でコーヒーショップの床の模様を題材にしていたり、私との会話で所謂サイコセラピー系の団体に加入した体験を語っており、(家に帰ってから)「幽体離脱」したとか。その時「部屋の壁の模様が妙に鮮明に見えた」と。それで、ソレルスの筋がよく分からない小説、その描写が、何か室内に永遠に引きこもっていく言わば揺蕩うダウナーな主体を表しているように感じられたので、記憶では、私は徳富にそれを渡してやったんだと思う。徳富自体に、私は90年代ダウナーな身体のステレオタイプを、振り返れば見ていたと思う。

白井美穂さんが企画した佐賀町BISでのグループ展に参加した時、(私が声をかけて)参加することになった徳富と一緒に東名高速を搬入で走ったことがあった。徳富の運転で。トンネルで、「この通り過ぎていく壁のライトを見ていると、目を瞑ってこのまま死んでもいい気分になる」と私に告白していた。徳富はイギリスに渡る前から、私の目にはダウナーそのものだった。

(美術の制作費のために)「自分が女だったら、体を売るのに」と、またもや告白的に私に語っていた徳富は、そのグループ展の時手に包帯をしていた。地下鉄の中で白井さんと私にそれを見せていた。「中絶後、別れた彼女からアイスピックで手の平を刺された」と、二人きりの時にまたもや私に。徳富の部屋には美術手帖の「ロンドン、ミニマルアート特集」の類が床にありという、私の目に映り記憶にあるのはそういう(留学という名の、国外脱出の)一連の情景ですね。

お互いにまだ話している内容も子供っぽかったと思うが、今では私は徳富の作品は「ポエム」であり、「デザイン」に過ぎないと思って単なる馬鹿にしている。

参照。

千坂恭二@Chisaka_Kyoji·12時間
フランスのヌーヴォロマン(新しい小説)の旗手的な作家にして批評家のフィリップ・ソレルスが86歳で死去。1978年頃だから28歳頃になるが、当時、読んでいたソレルスの『数(ノンブル)』は今も書架の奥ではなく表題を見せて並んでいる。
https://twitter.com/Chisaka_Kyoji/status/1654935442482143232

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