画像生成AIを恐怖する「アーティスト」

多くの美術家が現状、恐怖から、画像生成AIに正面から手を出さない理由は、(例えば大学の体制なども含めた)業界的・集団的なものであるが、その本質は、自らが名乗る「アーティスト」と(「アーティスト」以外の画像生成AIを使用する)「一般人」との差異が本格的に不明になるのではないか?という恐怖にあると、考察ができる。一方で、画像生成AIに限らずAIそのものは、それを扱う個人の能力差をあらわにする、と言われている。この二重の恐怖でしょうね。よく言われる著作権の問題に関して言えば、従来のAIが介在しない美術表現においても同様であったのだから(現在でも、例えばリチャード・プリンスは敗訴して話題を取っているし、アンディ・ウォーホルも死してなお訴訟の対象にされているので)、この場合主ではなく、付属的な問題と考えられる。

 
[付記]

「芸術」の領域を(芸術そのものが分からない人々が)ハイジャック的に占拠して、そこに何でも詰め込むことができる(=「誰でも芸術家」)とやってきたのが、日本の今日に至る現代アートの勧誘システムとその結果としてのヒエラルキーだが、画像生成AIにはその全体を崩壊させる可能性がある。特にAIが真性の芸術を生成した場合である。

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