芸術の成立②|平板という構造をぶち壊す

森田靖也(旧表記・オマル マン)氏との対談、第53回目。

K「森田さん、こんにちは。最近、イーロン・マスクのことが私は大変気になっています。この問い。」

「もしあなたが、または他の誰かが強力なAIシステムを開発し、彼女に一つだけ質問できるとしたら、何を質問しますか?」

イーロン・マスク「シミュレーションの外には何があるの?」
https://www.youtube.com/watch?v=DACcV1FQgpY (12:15頃)

「前回対談内容と、この動画を繋げると、「芸術」の「空間」性、バルール等の伝統的、外的要素(現在あるほとんどの「アート」作品はこれを欠いている。つまり端的に「芸術」は成立していない)は、もし強力なAIなら把握可能だと私は思うのですね(どの程度それが強力か?ということですが。マスクは芸術については考えていないのだろうか。例えばレオナルド・ダ・ヴィンチ に関して)。方法は、私の身体に接続する。つまり、直接脳に外科手術するのではなく、膨大な(あるいはそれに必要なだけの)範例を私が示し、そうでないものを一方で私が示す。(それに必要なだけ)強力なAIなら、すぐに式で答を出すと私は思うのですね。これをやりたいなあ。」

M「加藤さん、こんばんは。マスク、加藤さんのお考え、面白いです。またあとで返信します。ちなみに、AIが作ったビートルズの「未発表曲」というのがあるのですけど(https://www.youtube.com/watch?v=LSHZ_b05W7o)、よくできてる... けど。ボワーっとした曲ではありますね。 印象には残らない。」

K「AIが作ったビートルズ、「ビートルズ」にはなっていませんね。このレベルの学習能力であるというのは、SNSで流れてくるAIによる絵画作品(「空間」、ヴァルール等の芸術の要件をことごとく備えていない)と同じく、人間が受け取ってなるほどと、AIの脅威を感じるには至らない。ビートルズは(日本では)人気のあるポップカルチャーの一つの範疇ですが、なるほどそれと同等だ、というような驚きが欠けている。「ボワーっ」。」

M「これもたまたまの話で恐縮なのですが、新井紀子という数学者が 「AIに負けない子どもを育てる」という本を出していて、 たまたま最近読んだのですが、 新井氏は、ここ10年ほどAIに東大入試を受けさせる、というプロジェクトを推進していて、 実際にテストの6割くらいは、すでにAIは正解できるのですが、 逆をいうと残りの4割が、どうしてもできない。 とくに現代文が絶望的なのです。 単純な、文意を問うような問題は正解できても、 文章を正確に読む、イメージ想起力や、行間を読む力、など複数の認知を組み合わせないと解けないような複雑な問題は、 AIには解けない。 たとえば、 複数のグラフを読みながら、そのデータの意味を考察しながら、同時にそれに関する文章問題を解く、とか(イメージ同定、という認知課題) 著書で新井氏は「AIには、永久に乗り越え不能」とまで表現しています。」

「「空間性」にしても、認識するためには、複雑な認知の組み合わせが発生する。 AIの「ボワーっ」という不足感に。おそらく直結した課題ですね。」

K「絵画の画面の「空間」認識については、AIにはまず例えば等しく12分割された画面を白・黒で埋めていく全ての組み合わせを示し、空間ができているか否かの解答をそれぞれについて最初は教える。次に分割の数を若干増やして、正解を推量させる。そして正解を教え、次に分割の数をまた若干増やして正解を推量させるというように、繰り返していけば、やがては問いの意味をAIは理解するというように私は考えます。」

M「空間性の内訳として、仮に 「ボールが飛んでいる」絵画を考えると、 まず「ボールが飛んでいる」ということをAIは理解できるのか? という問題がある。 われわれ人間は、ボールが飛んでいる姿を目にした時に、 誰かに投げられてたと。 何らかの遊戯の一環として、脳の記憶にひもずいて理解しています。 おそらくボールはどこかに落下するのだろう。誰かがキャッチするかもしれない。 そういうことも想像するわけです。 つまり「ボールが飛んでいる」と一言でいっても、 そこには飛んでいるだけではなく、それ以外の物理的運動も含まれており、 ボール以外の存在する関係(者)も、同時に斟酌している。 ボールが飛んでいることの空間性の理解のうちには、 飛ぶということ以外のボールの存在様態と、 その存在様態が生じる環境理解も含まれています。」

「このような人間の空間認知と、AIをどうすり合わせるのか?という課題があると考えるのです。」

K「「ボールが飛んでいる」様が描かれている絵画、それを人間が知覚すること自体は、絵画画面の「空間」ではなく、「平板」の問題だと思うのですね。」

M「むろん。ですが、事実、加藤さんの脳はその認知能力を土台としない限り、高度な空間性を判断できないわけです。どちらかというと、アイディアの論理的な欠陥を指摘している、 というか、どう解決するのか?という議論をしたいのですね。」

K「「ボールが飛んでいる」という絵画画面上のイメージ、私がそれを把握できるということは、前提ということですね。しかし、AIにはそれは逆に難しいのでは。」

M「そこ先に「空間性」の内奥が垣間見えてくるのでは?と。人間の空間性というのは、それくらい偉大なものだと、私は考えている。」

K「もっと薄っぺらく導入していかなければ、(むしろ極・薄っぺらい仕方で)AIにアプローチしなければ、学習はできないと私は思うのですね。」

M「ちなみに新井紀子の「東ロボ君」プロジェクトでは、もうこれ以上のパターンのデータがない、というレベルでデータを作成してAIにぶちこんで、途方もない時間をディープラーニングして。でも、その結果はさんざんで。結局打ち切りに。「むしろ極・薄っぺらい仕方で」、の究極系は、もうやってるわけです。JSTって何千億規模の予算ですからね。」

K「「ボールが飛んでいる」という絵画画面上のイメージは、ほとんどの人間が把握できる。一方、「芸術」成立の要件である、伝統的「空間」「バルール」の問題は、ほとんどの人間が(教えなければ)把握できないのですね。この問題。」

M「加藤さんと長く接してきているので、そうおっしゃるのは、すごくわかるのです。製作者としての実経験として、ですよね。ほとんどのアーティストの作品に、空間性もバルールの要素もないし。」

K「美術史家・ヤーコブ・ローゼンバーグの二択問題を、ほとんどの日本の美術関係者が正解できないように。」

M「もちろん、私がなにかを絵画を制作したとしても、無理ですよ。芸術作品が歴史に淘汰されないのも、その不思議な偉大さの一方で顕れではないでしょうか? 専門家の観念の自己満足を超える。本当の芸術作品なら。」

K「それはそうですが。美術の教育の話題。」

M「もちろん。でも美術の教育と、大きなところで、つながっているという認識です。」

K「AIに教えるよりも、森田さんに教える方が簡単だという、私は認識です。」

M「ウォーホルもダヴィンチも、心のどこかで「みんな」芸術作品だと理解する。制作する段とは、まったくベクトルが違いますが。制作者としては、加藤さんが仰るベクトルが、何よりも重要なのですよね。それはもちろん、ズレてないですよ。私も。空間性とバルールの要素が、神殿を建築するもっとも大きな「土台」です。そこが抜けていたら破綻する。でも、例えば、パンテオンを芸術と理解できるのは、専門家だけではない。AIの思考実験の話と、なんとかつなげて、言及しているつもり(汗)です。」

K「マスクが述べている、「シミュレーションの外には何があるの?」という問いは、「自閉症」の問題系だと私は思うのですね。その意味で、マスクは現在的であり、かつ現実世界における有能な「技術者」であると、私は関心があるのだが。ピカビアの認知の問題とも、おそらくマスクは繋がっている。」

「例えば、現在現実にあるウクライナにおける戦争の例にしても、それに際して人間が考えることに、「果たして女なんか、我が身を挺して守る価値が本当にあるのか?」という問いがある。例えば、多くの芸術家において。」

M「マスクの認知的脆弱性を指摘すると、シミュレーションの外には何があるの?という質問の答えは「時間」でしょう。ハイデガー的に言えば「存在」もない。すべてが可能性の内で完結するもの。それがシミュレーション。ただ、加藤さんはひたすら制作に没頭して、芸術を追及すればいいのでは?とも個人的には(アドバイスでもありますが)思います。24時間、絵画のことだけを考えていればいいと。あなたは。」

K「そうですね。私はかなり前に美術教育は完全に放棄している。少なくとも、現実空間では。」

M「加藤さんの「良さ」が滲み出るのは、「24時間絵画を考えている」風な時ですよ。浮気はしないほうがいい。」

K「しかし、私は「エンジニア」に関心がある。その身体と空間を共有したいというのは、私の率直な欲望。格段に加速すると。一気に。」

M「没頭すれば、そのうち、力になる人間は増えると思いますよ。逆に、たとえば加藤さんが政治などに興味をもって浮気をすれば、みんな離れる。全然、そっちのほうには、加藤さんは、才覚がない。はっきりって。」

K「(笑)。政治、そちらも欲望は率直にあります。「抑制」していますが。」

M「一般人が、このような心理で動く、とか。そういうゲスな洞察力がない。そこがとても惹かれるところ。」

K「そのようなゲスな洞察力=美術家の彦坂尚嘉さんや、(弟子の)糸崎公朗さんですね。そこに全力投入の例。」

M「エンジニアに興味がある、と仰りますが、加藤さんは私から見ると、立派な絵画の「エンジニア」ですけどね。」

K「なるほど。森田さんの、美術家である私への姿勢は、一貫していますね。驚く。私の「欲望」を抑制しなくては。」

M「加藤さんと長く接してきて、私もずいぶん自分の認識が変わった。私にはやれることがほとんどないが、やれる、わずかな可能性を手にしている感覚がある。」

K「森田さんが正しい。」

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