ルーレット

2021年8月29日から始まった[1]、オマル マン氏とのnote対談のシリーズ。今回第51回目からは、オマル マン氏の実名公開版による再スタートとなります。マーケター・森田靖也氏との対談。

[1] デザインについて|加藤 豪 #note https://note.com/naar/n/n9fafaa130f7c

K「森田さん、こんにちは。身近に感じていること。「分裂病」的、今の用語で言うと「統合失調症」的、今もこの80年代文化形態は(一部に)如実に生きている。「身体化」され。主体の政治信条等、関係なく。「逃走」ということ。「人の話を聞かない」等。例、茂木健一郎的「クオリア」の連鎖。現在これをやることが、果たして「的」で済むのだろうか?というアクチュアルな問い。「心の故郷は80年代」ということで。」

M「加藤さん、こんにちは! 実家の親と接していてみると、ある種の断絶というか、加藤さんが警鐘を鳴らしている「身体性」と、否応にも向き合わざるを得ないというか。」

K「「家族」の問題ですね。離れて住んでいても、身近な問題。ちなみに私が例に出した80年代文化については、森田さん自身は体験していないんですよね。「ジャパン アズ ナンバーワン」。」

M「85年生まれなので、当時のベルエポックを体験する幸運(不幸?)にあずかっておりません。ただし一方で80年代文化を享受していないともいえない。ちなみに両親は、80年代をまるまる東京のどまんなか(赤坂)で過ごしています。」

K「私自身、学業を終えた90年代初頭から、またそれ以後にかけて、既に「文化的に切断はなく、80年代と完全に地続きだ」という意識を強く感じていて、一人主張していました。私が属する、現代アートのリアルタイムの潮流を、主に見ていてですね。逆に、私はそれへの「切断」の意識しかなかった。私は美術家としてのその出発点から(単独で)「切断」を唱えていたんです。」

M「「切断」ですね。加藤さんと接していて、たびたび感じています。 その世代では異例なほど。誰かを侮蔑する際の「あれはシラフだからw」という物言いが、 まさに80年代的身体性で。」

K「私はそのとき妻を伴い東京を去りましたが、地理的に移動しただけでは、「切断」にはならない。」

M「仰る通り、「切断」にはならないですね。」

K「「ついて来る」んですね。文化形態って、侵食しているので。」

M「ついてきますね。その実感は私も非常に近く。その「80年代と地続き」というお話は、 個人的な観察の経過とともにある確証を得ていて、 「ストレス」という語と骨絡みになって、 現れてくると考えている。」

K「「ストレス」という語と。「ストレス」からの逃走。」

M「私は東京で約20年、働いた。都心で。あまたの精神病の多くが、社会生活のなかで不可避的に直面する「パニック」 による発症なのではないかと思うことがある。巧妙かつ、陰険で責任の所在が不明瞭な、ストレスにさらされ続けている。みんな、そうなのです。」

K「なるほど。例えば主婦でも。」

M「主婦でも、同じでしょう。産後鬱とか、謎の精神病とか、例はいくつもある。あまり表ざたになってないだけで、ストレスは(勤め人よりも?)酷いかもしれない。」

K「改めて、家族の問題は大きいですね。」

M「私、あるいは私以降の世代は、家族がその80年代的文化侵犯の被害者ですからね。」

K「「家族」からの逃走として唱えられていた、80年代。スキゾフレニー文化。」

M「脳が毒に浸されて。例えばすでに他界している私の父は、 重度のヘヴィスモーカーで、 一日に最低で3箱、じっさいはもっと多く吸っていて。 くわえて(これも日をおくことのない)酒の鯨飲。 誰の忠告にも耳を貸そうとはしなかった。」

K「人間が弱くなっているという主張もあります。美術家・彦坂尚嘉さんのような。おそらく私の影響を受けて、彦坂塾も飲酒の習慣を中止。」

M「「物質への依存」という無視できない、最大特徴。」

K「物質への享楽というと、今日のそれへのロシアの「切断」というおぞましい事態が。ブチャの都市を破壊していったロシア兵が残していったと思われるスプレーでの落書きに、「なぜお前たちはこんなに良い暮らしをしているんだ」というのがあった。」

Yuki@ウクライナ🇺🇦一時🇯🇵帰国中@Yuki20611795 · 4月9日
ロシア兵がブチャに残した落書き
「誰がお前たちに美しく生きることを認めたんだ?」

初見はウクライナ人を馬鹿にしているだけかと思ったがイルピンやブチャは再開発が進み綺麗な建物や住宅が多かったので、それに嫉妬した貧しいロシア兵の言葉なのかもしれない
https://twitter.com/Yuki20611795/status/1512593660013129734

藤原かずえ@kazue_fgeewara·4月30日
ウクライナを侵略するプーチンの行動は実存主義的であり、その主張の背景にいるキーパーソンと考えられるのが超極右の哲学者、アレクサンドル・ドゥーギンです。ヒトラーに加担してしまったハイデガーを信奉する彼はまさにプーチンのハイデガーのポジションにあると言えます
https://www.newsweek.com/russia-putin-dugin-putin-ukraine-cuba-kennedy-1702180 https://twitter.com/kazue_fgeewara/status/1520378720707436544

 M「ウクライナ、ロシアの二国間は、複雑な関係性。愛憎入り乱れた。ロシアが野蛮に「切断」を為すか、ウクライナが「覚醒」するか。注視しなければなりません。」

K「「複雑な関係性」に、また「自由諸国」側が、「切断」を入れられるか?という構図。」

M「まだ現在進行中の出来事ではあるが、今の時点でもはっきりといえるのは、ウクライナにとっての「敵」が何者であるのかが、明確になった。国民(西側)一丸となって「敵視」する対象が。」

K「ウクライナの「主体性」が最も注目されていますね。」

M「まさに。80年代的(なぜお前たちはこんなに良い暮らしをしているんだ?)身体性を超ええる可能性。80年代を払しょくする権利を獲得した「ウ」が、「ロ」ではなく、21世紀の(すくなくとも半ば)を席巻するかもしれない。」

K「良いですね。その方向は。」

M「例えばちょうど、ペリーが黒船で襲来したときの日本のように。歴史を見ると、どうにも説明不能、意味不明なこと(確変)が起きるので。「説明不能、意味不明」という語感は、この2か月でも、かなり濃厚に感じています。」

K「ルーレットが回っている状況。」

M「まさにそうですね。」

K「「危機」の中で。」

M「「危機」のポジティブな測面がないわけではない、ということですね。」

K「そうですね。」

M「だからか、日本だと、かねてより「護憲」とか「二度と過ちを犯してはなりません」とか言ってた人達が、今回の有事に際しては、なんとも、間が悪いというか。クネクネ身もだえている感じ。」

Twitter について

K「個別具体的な危機は、様々ある。分かりやすい「敵」が欲しいんでしょうが、見当たらないと、自家発電的に発症して来る。」

M「確かに...。見えない真綿が首をしめてくるんですよね。「ストレス」に悲鳴を上げているのか。」

K「「絶望」ですね。」

M「うん。「後退」の一手しか、浮かばないんでしょうね。」

「でも本当に、この数年で、Twitterの難易度が高まり過ぎてきた。それはある。芸能人やセレブほど、離脱。いまは学者や業界ゴロのファイトクラブと。」

K「業界ゴロのファイトクラブって、まさにですね。群がる「蠅」を蹴散らしながら。」

M「「インフルエンサー」とか、もうおよびじゃない。」

K「本当に目に見えて、何かが変化してきた。」

M「殺伐としていますよね。」

K「殺伐、私は良いことだと思います。」

M「加藤さんの得意なフィールドとなってきている。」

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