17世紀のパスカルが奇しくも上手く描き出している。しかし、パスカルはシンプルに頭が良い。ここで言う「中間の連中」はまさに日本の往年の現代アートの作者たち(特にSNSで騒ぎを積極的に拡散する、またはそれに永遠に飢えている層)を表象するかのようだ。
ここでの「人間の知のあらゆる可能性を踏破したあげく、何も知らないことを悟る偉大な魂」とは、のちの精神分析での「去勢」の意味でもあり、遡るとソクラテスの「無知の知」に繋がっている。(フランス現代思想はそれに対抗したが、例えばフーコー、その言説の信憑性は現在では失墜しているかに見える。フーコーはソクラテスの「無知の知」が特権化されていることに晩年異議申し立てをしていた。ソクラテスの「自己への配慮」の方を先に立てるべきだと。)
反対に、日本の現代アートは滑稽さを帯びる、全般に「全能感」の表現になっている。その例が先にnoteで書いた、美術史上の転換点=キュビスムへの拒絶。
(パスカルが言う「神への愛」=「知への愛」とは反対の)自己が知らないことへの拒絶と、自己の所有した知への(日本の場合往々にして土着的・国粋主義的な形になる)全能感の表現、及びそこにある民衆への侮蔑感情。
これにさらに反し、最近では日本でも積極的に研究が生まれているようだ。
付記。他の、パスカルからの参照。