「自己像」の結ばなさ

脳科学者・茂木健一郎氏が語る「非典型的な方へのコンテンツ」。この提示。シンプルだが考えさせるものがある。

非典型な方々とのきずなをさらに! #脳の教養チャンネル 年の終わりのご挨拶

茂木健一郎の脳の教養チャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=0UzgD8v5gco

「典型者向けのコンテンツはつまらない」。うーん、それは私もそうだ・・。しかし、頭がこんがらがってくるところがある。私自身は「典型」なのか「非典型」なのか?というと。行動だけ見れば、例えば日本の現代アート界の中で、私は「非典型」の極致とも言える。これは確実に。特殊中の特殊。大体、厳密に言うと、妻以外の誰のことも私は好きにならない。一人特殊学級のようなものか。遡ること2001年の日伊交流年にイタリアで開催された日本の現代アートを紹介する国際展(イタリア、プラト、ルイジ・ペッチ現代美術館で開催された『先立未来』展)で、下見に来日し日本の学芸員に引率され私の狭い木造アパートを訪れた館長・ブルーノ・コッラ[批評家。アルテ・ポーヴェラの専門家。ヤニス・クネリスの支持者]は、帰り道その学芸員に「彼はなぜギャラリーに所属していないのか?」と不可思議に思い尋ねたのだった。彼が実際に現場で配置したのは、私を美術展の順路の第一室・先頭だった(順路の中程に故・篠田太郎、奈良美智等)。確かに私のような存在は、先頭以外に持ってくる場所がないのかもしれない。思えば、小学1年時の私の教室での座席は、教師の机の横、皆の方を向く形であった[この担任の男性教師は、地元の寺の住職でもあった]。

そして、かつてこのnoteでの私の対談相手だったブロガー・森田靖也氏によれば、氏曰く私について「ノーマルであることが一番の変態」と表現。これがどうもしっくりくるんですよね。私自身が。私は、典型にチューニングすることが可能な非典型なのか、あるいはその逆か(?)。私は、いつの間にか非典型の「代表者」(代理人)なのか?

ともあれ、「つまらないと思う方へは足は向かない」という主旨の茂木健一郎氏の発言は、至言ですね。おそらく普遍的な(?)。

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