「芸術って、なくなったら一番面白そう」
「テロ」の話題だと、昨今大から小まで。
私は、テロ肯定派ではない。テロの本質を思考する派・と言っても良い。
私の知人だと、演劇批評の海上宏美氏が、かなり強烈なテロ肯定。「私は麻原彰晃を支持する」と公的に媒体で発言している(サリン事件・後に、ゼロ年代)。かなり気合の入ったテロ肯定であり、「麻原が私はキリストの生まれ変わりだ、救世主だと言ったらまた違ってくる」と、これは私に個人的に語った。この文脈だと「私はウクライナ侵攻のプーチンを支持する。プーチンが私は救世主だ、と言ったら、また違ってくる」という話も、当然出てくる。今は、Twitterを見たことろ、海上氏はそのような直接的な発言はしていないようだが。
以前、海上氏のこの麻原支持発言を、私は知人であった文化政治批評・清田友則氏に尋ねたところ、「軽蔑する。自分がそれをできないことを恥じるべきだ」と私に語った。清田氏もテロ肯定の思想。同じセクト内で、このような海上氏・清田氏の例の分裂もある。後に清田氏の思想の展開もあり、これも私に個人的に(ゼロ年代後半)「最近はテロに自分は肯定的ではない。自分の家族がもしやられたら、やはり嫌だし」という現実的な話をしていた。
清田氏は、(個別具体的な作品を問わない)「抽象芸術論」。F.ジェイムソン経由の、T.アドルノのと清田氏は私に説明。ゼロ年代、「大文字の芸術」をSNSで主張。名古屋には、ゼロ年代、清田氏の主張を中心に、「芸術やめろ」運動も存在した。その流れで、大野左紀子氏が美術家・廃業宣言。後に、『アーティストシンドローム』を著した。彼らの主張に邂逅した時点で私は、既に所属するギャラリーを自ら出ていたが、彼らと話をしているというだけで、あるいはSNSで私が一度冗談で「元アーティスト」と自分を表現していたので、それに美術界界隈では反発が起こった。「加藤豪、許せない」と。私の所属したギャラリーは業界の影の親分格であり、それと懇意な人々が。他のギャラリストも。親分(というより殿様ですね、=江戸時代)に愛された恩義を忘れ、自分からコマーシャルギャラリーを出た「元アーティスト」などに、戻る場所などないという、「加藤豪・村八分」という文脈が確かに存在する。美術館学芸員も一致で、国際展に複数出品経歴のある私を、名前ごと完全に存在を抹消するという、まさに「悪い場所」(椹木野衣)の実践を見事にしている。しかもその間、私は美術作品制作を、今日に至るまで一度も途絶えさせていないんですね。「本業」としてやっているのです。これを面白いゲームだと私は思っていますね。私しかできないゲーム。言葉で書かれた「悪い場所」を、いわば本物の現実化・立体化しているのです。
当然のことながら、この美術館の外の私が間近で見聞した「芸術やめろ!」運動と、美術館の内部(学芸員、アーティスト、ギャラリスト)は、裏で密接につながっている。思想で。「芸術破壊」という。内から・外からという共闘なのですね。芸術に対するテロと言うと、この内からと外から。これが本質。私がやめたコマーシャルギャラリーも、「左翼」(元・関西ブント)であり、「芸術」に対する悪ふざけが本質の、芸術破壊の一角。脳科学者の茂木健一郎氏(元東京藝大講師)も、私の目からはそうですね。このnoteで以前、連続的にした私の対談相手だった森田靖也氏が私に教えたが、茂木氏がロバート・モリスやレオナルド・ダ・ヴィンチを否定する姿勢をSNSで見せていたと。ここに芸術破壊の本質があると思います。まず、絵画作品にテロの暴力が向けられる場合、発想としてレオナルド・ダ・ヴィンチが出てくる。ほぼ、本人にとっては無意識ですが。この衝動は歴史的な形成物。私の東京藝大大学院在籍時の担当教授・工藤哲巳氏も(前note記事の文脈で「縄文」かつ)、自らの出発点としてのレオナルド・ダ・ヴィンチへの否定衝動を若年期に媒体で表現している。少なくとも、戦後日本からこの系譜は辿れる。私の所属したギャラリーオーナー・G.デュメジルの翻訳グループの一人でもある神野公男氏は、三木富雄の耳の作品をこれみよがしに客の前で灰皿がわりに使っていた。これら、美術家の私の目から見て、全体主義の芸術破壊の各人の内在性。
私が「全体主義を全く恐れない」と言うときに(ジジェクが言った意味ではなく)、これら中心的に含意があります。
レオナルド・ダ・ヴィンチと聞いて、否定感情が咄嗟に浮かんでくる/ないによって、芸術に対する破壊・テロ衝動をその人が(潜在レベルでも)持っているかどうかを知る、第一級のリトマス試験紙ですね。これは歴史・イデオロギーの形成物。作品をさほど深くは検討していない。
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