季節の変わり目

オマル マン氏との対談、第41回目。前回対談後のオマル マン氏追記部分からの続き。

O「「反権威主義の衣を纏った、その実、権威主義」の邪悪さの方が、開き直った権威主義のプーチンより、上かもしれない。今回の有事に際し、プーチンが覚醒したことにより、かえって、上記のような事象が浮き彫りになってきた。」

「そして、プーチンは複雑性を脱ぎ捨てて、複数性へ「移行」しようと、もがいているのではないか?」

K「オマル マンさん、こんにちは。「反権威主義の衣を纏った、その実、権威主義」の邪悪さというのは、私が発見した日本のリベラルの本質部分ですが、私自身はこれを「上」と客観視することはどうもできない。例えばオマル マンさんに教わった茂木健一郎氏ですが、発言を読むほどに馬鹿にしか見えない。あるいは馬鹿であるからこそ、「上」を構成する権利があるという日本的・近年の「権威主義的リアリズム」のオマル マンさんの主張は、現実のわれわれの本当に環境でしょうか。何を根拠に?」

「村上隆氏の「スーパーフラット」ではないですが、「上」「下」の陳腐化したドラマのない世界にいる、我々は。「平板」。」

「過去の参照。」

池田信夫@ikedanob·2016年10月15日
民進党代表がこの1ヶ月以上ずっと嘘をつき続けてきたんだから、あなたの4億円脱税ぐらいはニュースヴァリューがありますよ。
引用ツイート

茂木健一郎@kenichiromogi · 2016年10月15日
こういう手続きに本質やニュースヴァリューがあると考える人が世の中にはいるんだよなあ。この世の七不思議の一つだ。 RT 民進・蓮舫代表 台湾籍離脱手続き「不受理」 日本国籍「選択宣言した」
https://www.sankei.com/article/20161015-LE2HK4B6NBIIPDSBXLLNICJRQI/
https://twitter.com/daisukesasayama/status/787499265039794176
池田信夫@ikedanob·2014年7月4日
「和をもって貴しとなす大和心があれば中国は攻めてこない」という茂木健一郎氏の主観主義は「大和魂さえあれば日米戦争に勝てる」といった東條英機と同じ。- Togetterまとめ「日本は、『普通の国』なんかになる必要はない!!!」
https://togetter.com/li/687474
https://twitter.com/ikedanob/status/484889868812972032

K「メッキは(当初から)万人にとって剥がれているのではないか? 共通了解。「茂木健一郎」「会田誠」あるいはサブカル=アートの原型としての、「赤瀬川原平」。あるいは、「世界で有名な」河原温でも良いですが。」

茂木健一郎@kenichiromogi·12時間
いいですね!
引用ツイート

布施英利@fusehideto · 12時間
一年前の、河原温についての連ツイ。

布施英利@fusehideto·2021年4月17日
ある美術館で河原温の絵を見たが、日本近・現代の最高の美術家は河原温だと再認識。たった一日の「日付」を絵にしているだけなのに、そこには太陽に向かって自転する地球と、そこに生きる人の息遣いがある。・・世界的に成功した作家で、作品ではなく「製品」としか呼べないのもあるが、河原は本物だ。
https://twitter.com/fusehideto/status/1383265494656983042
https://twitter.com/kenichiromogi/status/1508445739172925444

「彦坂尚嘉さんによる、美術家の「顔」論。」

「河原温のように、
顔を隠している作家と言うのは、
顔を見られると自分の作品がつまらないものである事が、
簡単にばれるのを恐れているからです。
河原温の作品は、《6流》の
デザイン的エンターテイメントにすぎません。
芸術ではないのです。」

彦坂尚嘉の《第41次元》アート
https://hikosaka.blog.ss-blog.jp/2008-10-18

「われわれは、十二分に平板化した世界をさまよっている。」

「茂木健一郎の、日本の本質「やまと心」=「女性性」のネタは、柄谷行人ではないですか?」

茂木健一郎 @kenichiromogi·2014年7月2日
にふ(7)日本は、「普通の国」なんかになる必要はない。和をもって貴しとなすことを知り、古代からおおらかなやまと心(本居宣長的な意味で)を持っていた日本にふさわしい国のあり方は、アメリカや英国などの欠点だらけの、masculineな国ではないはず。もちろん中国や韓国も先生ではない。
https://twitter.com/kenichiromogi/status/484100938123055105

「彦坂尚嘉さんの「顔」論で言えば、端的に、茂木健一郎氏の顔は「嘘つき」の顔ではないか? 「象徴界」の欠如。すべて金儲けの「ネタ」。」

参照。市川海老蔵さんと小林麻耶さんについて想うこと
https://www.youtube.com/watch?v=tYNkAbWjHfo

O「加藤さんこんにちは! いま、すこし考えてみたのですが、自分の認識における「上」というものが、何であるのかを考えた時に、大前提として、それは所詮は人工的な概念にすぎない。これは、当たり前ですが、はやり重要なことだと思います。加藤さんが「上位構造」の環境認識の愚かさについて言及するときにも、「二重性」が発生している。一見して、「上」がバカである。そんなことは誰もが分かりきっている、と言った時に、それは「クリシェ」なのですが、でも、それだけでは何か重要なことが抜け落ちているような、不足感があるのです。私の言及するような「上位構造」が、現世界を規定している等のそのような「環境」認識の正当性、および、成否について、加藤さんは強い疑義を抱いていると仰るのは、わかります。アーティストは世界の「問題ない」ではなく、それとは反対に「問題」に目が向く。」

「その「問題」とは何か? 「人工性」、にあると主張しているのではありません。おそらくは「自然さ」の欠如にある。」

「いまの世界は全体として、あきらかに、「自然発生的なもの」では「ない」のです。そこが、おそらくは一番根が深い。」

K「まあ、「自然」さの欠如といえば、小林麻耶を語る茂木健一郎の顔は、完全硬直、こわばっていますね。」

O「茂木健一郎の「深刻さ」を一言でいうならば、「何一つ、”驚き”をもたらさない」でしょうね。」

K「同時に、茂木氏のブログを見ると、日々の自己の癒しは「自然」と「お菓子」。これを私は「寂しさ」「孤児」の表象と言っている。」

O「ある思考実験の必然的な帰結を述べるだけのロボットのように見える。」

K「「自然」と「お菓子」(クオリア)ほど、「人間」から離れた寂しいものはない。」

「「業界のロボット」ですね。顔が死んでいる。笑顔はより痛ましい。動画で最後に「ぽろんちゃん」という時の。」

O「私たちは「再生」しないといけない。本来は。再生を齎さない。ロボット、茂木。」

「村上隆氏も、おもにゼロ年代に「バカな上位構造」の環境認識の愚かさ、については、かねてより仮想敵として、言及していた記憶です。「俺はもうお前らバカとは付き合わない。上位とか無視して、俺は独走する!」と啖呵を切っていた記憶。」

K「なるほど。村上隆氏には、美術業界は誰も言及しませんね(彦坂尚嘉さんが定期的に言及する以外は)。そのせいでしょう。」

O「村上隆氏の「駄目」だったところは、安易に極論に走ったことでしょうね。」

K「「駄目」なんですか?」

O「「待つ」、が正解だったと思う。」

K「何かの到来を待つ?」

O「村上隆氏の新書や新刊は都度、書店にあったら読んできました。「ずいぶん図式的だなあ」と、毎回思ったものです。」

K「私は、読んでいません。」

O「でもその戦略は「人工性」に思える。」

K「「芸術企業論」とかですか?」

O「読みましたね。熱心に。面白かった。彼は「ルールを作れ」、と。旧来のアートのアナーキーに安易に流れるなと。」

K「「企業」を唱えたのは、上記村上氏が啖呵を切ったのと、関係がありますか。」

O「関係はあるでしょうね。俺は起業して、アートの新雪の野を切り拓いて、ブッチギッてやるぜ!と。」

K「達成した感じですよね。知名度的に、真に世界のセレブの仲間入りに。村上氏は、思いを遂げたんではないでしょうか。」

O「「社会的に」という留保がつきますよね。彼はたしか「80点で満足する大家には、自分はなりたくない」といってた筈ですが...果たして。今の彼はどうか?」

K「「社会的に」。ヴィトンやヴァージル・アブロー、カニエ・ウェストらの、具体的には社会ですね。村上作品が、アメリカに歴史として保存されていくとは、限らないと。」

O「村上氏は、かつて、80点で満足している大家のせいで、バカな上位構造が強化されて、アートが死んだ。と言っていたのですよ。うろ覚えですけど、確かに言っていた。俺は120点で行く!と。」

K「ボイスとか、でしょうか。80点(彦坂尚嘉さんの格付けだと、5流)。」

O「会田誠さんとかじゃないですか? 今だと。」

K「では、彦坂格付けでは「6流」。称して「自然領域」。」

O「自然領域、会田誠、茂木健一郎、その他、」

K「村上作品も、彦坂格付けでは「6流」ではないでしょうか。」

O「なんかブレてた記憶です。13流っていってたような。カイカイキキは全体として8流、だったはず。」

K「「6〜13流」と。幅があるだけ偉い、という言い方も、彦坂さんは確か持っていますよね。」

O「そこらへんのねじれた「褒め」方は、あると思いますね。村上氏に対して。」

K「弟子のカイカイキキは、「8流」(信仰領域)と。信じて見れば、良くも少しは見えるという。」

O「ミスターとか。」

K「ねじれた「褒め」方。「最底辺」までは、まだまだ先だと。」

O「カイカイキキは「スポ根」なので彦坂氏は、個人的嗜好のプラスもあって、村上氏界隈にちょっとした、滋味がある。個人的には、ちょっと、見ていてツラい...。カイカイキキの弟子たちの作品...。」

K「「1流」とか「超1流」というのは、戦後の日本で彦坂さんが言うのは、三木富雄ぐらいじゃないですか。」

O「三木富雄とか麻生三郎とか。」

「スポ根のカイカイキキですが、彼らは本当に正直に自分を出しているのか...という疑念。人工性が鼻につく。」

K「知識人の「6流」は、彦坂格付けでは、浅田彰・柄谷行人・東浩紀。この辺をいじるのが、彦坂さんのゼロ年代の芸風ですね。日本の「ガラスの天井」と(翻訳すれば)称して。」

O「ポーズ知識人たち。6流、そういえば、彦坂氏は、私に対しても「空っぽの風船だ」と。」

K「彦坂さんは、6流以下に落ちて、世界のセレブ化した村上隆さんの方を、どうも好きなようです。「ガラスの天井」(6流)憎し。」

「フランスを中心にヨーロッパで有名になり、没後、アメリカにも作品が上陸した工藤哲巳も、彦坂格付けでは「6流」で、憎き「ガラスの天井」。顔を隠した河原温も、その同じ種別性の対象。」

O「ティツィアーノを嫌ってますね。彦坂氏。私は大好きな画家です。彦坂氏は、ハッキリ、嫌っている。」

K「オマル マンさんは、反して、日本の安定した「ガラスの天井」6流に愛着がある。」

O「facebookのメッセージに挑発して、「私はティツィアーノが最も好きです」と送りつけたのです。」

K「日本の6流って、共同体言語なんですよね。ちょっと背伸びをして、5流=ボイス。」

O「共同体こそが「政」です。たびたびアーティストは、「政」を最悪のものと見なしてしまう、という弊はあるでしょうね。潔癖すぎやしないか?と思う。個人的には。」

K「「政」外でしょう、正確には、自民党から除外されているわけですから。日本の美術(現代アート)共同体は。」

「学術会議も、問題化され。「政」外にどんどん追いやられている。京都大の、猿研究・界隈も。」

O「ティツィアーノを嫌うという心性は、「両性具有性」というか、むしろ「去勢性」に思えるのですよね。リヒターというのは、たいした政治家ですよ。と彦坂氏は侮蔑する。」

K「彦坂氏はヒステリー者ですね。柄谷行人と同じ。」

O「いいわけではないですが、その去勢性と、才能とは関係がないですよ。リヒターを嫌う、天才はいるでしょう。現に。彦坂氏以外でも。」

K「狭いセクトに属して、トップの6流にヒステリーを起こすという構図。この彦坂的反復は、是非反面教師としなければ。個人的に。」

「彦坂さんは自己を「左翼」と規定化。セクト内闘争なんですね。それがリアルだと。日本の「政」外で。村上隆さんは、そこへ唾を。」

O「村上氏にはアートと政、は濃厚に感じられますね。」

K「実はそうかもしれませんね。」

O「ある種の「潔癖さ」も感じるんですけど。不思議。東浩紀が数年前に「自民党界隈をウロウロしやがって!村上は堕落した!」と。」

K「東浩紀への(黒瀬の事件後。現在係争中?)距離の取り方。」

O「「村上とは手を切る!」といってたのに、黒瀬事件後「村上先生~泣」と態度が一変。」

K「ドタバタ劇ですね。セクトのお家事情。」

O「ロシアの政治家は、挨拶する時に、お互いの金玉を握り合って、挨拶を交わします。そのあとに一緒にサウナに入って、風呂上りに、ウォッカを飲んで...と。政。」

K「野蛮人の「政」。私も彦坂ブログを読む前までは、挨拶がわりに人のキンタマを握るのが癖でした。つい。太郎千恵蔵に六本木のバーで鷲掴みにして、「さわんないでくれる?!!」と激怒された経験が・・。ロシアの政治家、確かに嫌ですね(笑)。」

O「プーチンのリアルな世界ですね。茂木には無理でしょうな。プーチンは「金玉も触らせない奴らとは、つきあえない」と。」

K「(笑)。どうしようもないな。」

O「プーチンは、自由本営側に対しては、自閉症の集団みたいに見えているのかも。」

K「「世界からの孤立」。新たなる冷戦=「ロシア抜きの世界」のプラン。」

O「でも、「金玉触る」勢もけっこう多い。世界的には。ロシアー中国、中東、中央アジア諸国。」

K「その辺が、団結しそうですね。」

O「ええ。あきらかに。今後数十年にわたって、めんどくさいことになると思う。」

K「「自閉症集団」は入れない。彦坂・会田・茂木。入国許可されるのが、橋下徹・太田光・鈴木宗男か(?)。」

「私はそっちに入りたくない(笑)。」

O「宗男さん、なんだか悟ったような境地。国内の報道なんてのは、素人の戯言にしか思えないでしょうよ。」

「会田氏の金玉を握っていた加藤豪さん。」

K「奈良美智は、握ると普通に笑っていた。体育会系だなと。私はその種の戯れですね。「中間」的な。中学はバスケ部、陸上部。体育会系に、文化系の多くが示すほど、それほど拒絶感はない。不良やヤンキーともそれなりに交流できる。しかし、どっぷりでは全くないという。」

「年上だから奈良は、私にいきなり初対面で「おい、加藤」と笑顔で呼んでいた。別に悪い気もしないが。」

O「奈良氏の、意外な一面。貴重な証言です。青森ですものね。」

「おもにネットの上で繁栄している「バカな上」の不毛さとは無縁に「体育会系」もちゃんと存在している。村上氏も親和性、高いですよね。」

K「村上氏は、どうでしょうか。「挨拶」とかは、重んじるのでは。軽くはない。」

「むしろ、上の世代の彦坂氏とかが、村上氏の(酒席での振る舞い方等の)模倣をしているのではという可能性を、私は考える。」

「少しまとめを。日本のアートのガラスの天井=「6流」(「自然領域」by彦坂尚嘉)(または背伸びして「5流」=ボイス)。彦坂氏は、これへの内ゲバ的憎しみの表現。彦坂氏は自己を「左翼」と規定。同時に彦坂氏は「6流」以下に落下して、世界の「セレブ」の一員となる村上隆氏へのねじれた(by オマル マン)愛の表現。私自身は、「1流」「超一流」から「最低次元」まで、幅広く「隣人」「友人」として「身体的」に触れ合いたいというタイプ。」

「オマル マンさんの、私が呼ぶ、日本の「政」外の狭いセクトに過ぎない、「6流」をトップとして頂くヒエラルキーへの、「愛着」問題は、最後に残りますね。さてこれをどうするのか?という問題。「6流」を盾にとり、オマル マンさんを「空っぽの風船」と称した彦坂氏に復讐を遂げた?というのは、私から見てどうにも図が悪い。それは「去勢」ならぬ、「虚勢」だと私からは見えるんですね。太田光も野党をバックにした単なる虚勢でしょう。本は読んでいても。空な存在。」

O「加藤さんの仰る、私の実存に関わる問題というのは、煎じ詰めれば、「手本」ということでしょうね。何もないところからはじめないといけないが、私の場合、手本とするべきものとして、最初に彦坂氏がいた。ごく普通に生活をして、息を吸って吐くように、彦坂氏のブログが目の前にあったのですよ。スタートからして、可能性の延長だったのです。マイクケリーやクーンズのような異世界の人たちにとっての、ありふれた感覚を知りたいが、そのような不可能性は、私には知りえなかったのです。異世界の現実に生きていた人たちの、言語化されてない知識は、知りようがない。「太田光も野党をバックにした単なる虚勢でしょう。本は読んでいても。空な存在。」それは、そうでしょうね。前に加藤さんが、彦坂氏を愚かな生贄(ダメ人間が生贄になる)と評したことを思い起こします。手本を、マネしちゃだめなんですよね。」

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