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全ては音程に現れる

レッスンでは音程も慎重に聴くようにしています。単に音程が合っているかという目的ではもちろんありません。

発声に難がある箇所は音程もおかしくなります。支えが抜けていると音程は上に不安定になり、身体のおかしなところに力が入っていると音程が上がりきらずつまることが多いです(様々な理由で逆になるパターンも)。音程ばかり気にしている歌手の音程は、全くはまった感じがしません。リズムが不自然だと音程も不自然になります。音程は和声によっても変化するべきものなので、音楽を適切に捉えられていない場合は、音程も不自然になってしまいます。

演奏に「集中し、何か音楽的なことをやっている感」が出ている演奏家が、どの音程もはっきりしないなぁと感じてしまうことがあります。やはり、音のイメージが弱いんだと思います。音を出す前に音のイメージが聴けてないのかと。一見、見事な音楽語法で演奏しているようでも、音程が常に定まらない、あるいは外した音程を気にせず、ずっと修正しないまま演奏され続けてしまうと、音楽が空っぽな印象を感じてしまうのは私だけでしょうか。

適切な音程で演奏するのは、技術が伴わない段階では困難です。だから、音程がおかしくても正すのは音程ではなく、その原因を正すことだと思っています。一方「音程が低いよ」と言っただけで(どうして低いのかは伝えます)、必要な技術を獲得してもらえることもあり、その見極めやバランス感覚は指導者としても演奏者としても、とても大切なことではないでしょうか。

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