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愛だって時間軸で捉えることができるじゃない

12/24(木)20:00カフェで勉強しているお前は将来闇を抱えないようにな。

皆様、お久しぶりです。

さて、今日は先日行った乃木坂46アンダーライブ in 日本武道館の感想を忘れないうちに書いておこうと思います。

推しメンがよかった!!!

好き!!!!

っていう感想はもちろんなのですが、

ついつい僕は真面目なほうに考えちゃうので、いつも通りまじめなことをここに記します。

今回は、アンダーライブというものについて

れのちゃんについて

思ったことを2つ記します。

アンダーライブの訳が見つからない

乃木坂46は”選抜制度”というものを採用しております。

一般的に、分かりやすく言うと1軍、2軍。

ただ、最近は上下というものではなく、場所の違いとしてアンダーという表現をしているように思えます。これは、時代のおかげでもありますし、彼女たちの努力のおかげでもあります。

なんせ彼女たちのパフォーマンスはすごい。

まぁ、好きなものだからすごいと思うのは当たり前なのですけど、毎回期待を超えてくるのはすごいなと思います。

さて、今回のお話といたしましては、その圧倒的なパフォーマンスを披露してくれているにも関わらず、アンダー(選抜ではない)であるという事実に対して、きちんと定義をさせてほしいというのが今回僕が記したいことになります。

まず、前提として”アイドル”というものはステージの上で一番輝くものだと僕は思います。なぜなら、分かりやすく言うと消去法になりますが、そこが風俗やキャバクラと違う点になるからです。

サービスの中心が”かわいい子と話す”という点において、本質は風俗に近いものがあります。(ここでいうサービスの中心というのは、金額の大きさではなく、衝撃の大きさ)

それを、アイドルに昇華させるのは間違いなくライブです。

(芸能人に昇華させるのはテレビ出演だと思っております。これについては、また別でお話したいと思います。)

アイドルというものの定義がぐちゃぐちゃになってる中で、唯ひとつ他に代わらないものがライブということです。

人に感動を与える

誰かの支えとなる

という点において、そこまで違いはありません。

その規模が違うだけなのだと思います。

ではライブを行うという点において、今の乃木坂選抜メンバーはどうでしょうか。披露はテレビでしますが、あくまでパフォーマンスを見るわけではありません。それがいいか悪いかは別の話です。

ただ、メンバーによっては、ライブを中心にやりたい!っていう方がいると思います。そういう方にとってはアンダーのほうが居心地がよい場所だとも言えます。

北野さんがブログやライブ等で「何から向き合っていいのかわからなかった」と綴ってくれました。ただ、「みんなのために皆んなと心を通わせたい」とも綴ってくれました。

ライブを直接見ただけでは、何か伝わったのが分かっても、理解には及びませんでした。
ただ、文章にしてくれたことで初めて想いがつながった気がしました。

様々なメンバーの想いがあるからこそ、その想いを明確にしてくれる言葉があると、応援しやすいなと思いました。

だって、好きだけじゃ応援し"続ける"ことはできないでしょ?


好きは"長期的"に応援する理由にならないんだと思います。

"推しのため"なんて言葉を使うなら、苦しくても続けることをしなくちゃいけないんだから。

(自分のためにオタ活して、結果として推しのためになってるが1番だと僕は思ってます。)

れのちゃんというアイドル

好きです。大好きです。再確認しました。

だからこそ、悔しい。嬉しい。悲しい。
色々な想いが混ざってきます。

端的にいうと、今回のライブは

れのちゃんを通して昔のいなくなったオタクたちを思いだしたライブでした。

そして、過去のオタクたちにこう思うのです。

「あなたたちのおかげで今れのちゃんのパフォーマンスが見れます。ありがとう。」と。

こんなことを言うと懐古厨で、気持ち悪いのですが、過去のれのちゃんは年齢が若いということもあって、"いじられ態勢"というものが全然なかったように見受けられます。

今の時代、いじられ力は愛され力とも言っていいかもしれません。
そのような態勢をつけようとしてくれたのが過去のオタクたちなのです。僕は知っています。
なぜならそれだけ長いこと応援しているから。一緒に応援してきたから。

例え、現場を離れたとしてもそこには確かな思いがあったのです。

そのような1つ1つの思いが今のれのちゃんを創っているのだとパフォーマンスをみて感じとることができました。

これって、本当に素敵なことじゃないですか?

僕は、過去のれのオタだった皆さんを誇りに思ってますし、もちろん今のオタクたちも誇りに思っています。そこには””が確かに存在していたのだと。

愛というものに関しては、時間軸で捉えられることが少ないです。

続けることが愛であると。

僕はそうは思いません。

過去1度でも相手のために何かをしたなら、想いがあるのならそれは愛なんです。

愛というのは、失うかどうかの話ではないのだと気付かせてくれました。

れのちゃん。

ありがとう。

僕はこれからも今のれのちゃんオタクたちと愛を与え、受け取れたらなと思います。



推しのためというなら推し続けることが大事。

だけど、その想いはつなぐことができるのだなと感じました。

みんなありがとう、これからもよろしくお願いします。

24日カフェでみた少年は、勉強を終え彼女を笑顔で迎えていました。

ではでは

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