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自己紹介

はじめまして、おちぼです。

ひっそりはじめたnote。
これまで言葉にできなかった、あえてしていなかった感情や情景を書くたびに、それがこんなにも癒しになるんだということ。
そして、それが誰かに届いてすきだよと言ってもらえることが、こんなにも救いになるんだということ。
やめられないとまらない、でも毎日は更新できないジレンマのなかにありつつも、わたしはこれからもきっとnoteを続けていくだろうと確信がもてたので、自己紹介の投稿をしてみようと思います。


本名ではない理由

アカウント名は、『おちぼ』にしました。
本名じゃありません。noteで本名を出して活動することは、おそらくはこれから先もないと思っています。

理由は、自由に表現できる余白を、常に持っておきたいから。
もちろん一般的には、本名で活動するということと、表現の自由・自由でいられる可能性のおおきさは、トレードオフではありません。

でもわたしにとっては、本名ではないということは、とても大切なことです。理由は2つ。

1つ目。わたしは個の輪郭が明確になりすぎると、なぜだかいたたまれない気持ちになってしまうタイプです。適応能力も戦闘能力も高くないので、これまでの人生を振り返っても、恥ずかしながら居心地の悪い場所からはこそこそ逃げ出してきました。
これまでの人生で、人に胸をはれることばかりをしてきたわけでもありません。人様に誇れる特技も語れるほどの信念もないですが、それでも毎日がんばって生きています。そういういろいろなことを書きたいし、せっかく見つけた癒しと救いのプロセスを自分で手放してしまうようなことはしたくない。だから、本名は使わないことを選びました。

2つ目。わたしにとって書くことは癒しであり救い、つまりとてもパーソナルな行為のようなので(気づきました)、文章のなかには、具体的な体験や特定の誰かとの想い出がたくさん出てきます。個人的な癒しと救いのプロセスに巻き込んでしまう特定の誰かを意図せず傷つけることは怖いので、その誰かの匿名性は守りたい。そのためには、わたしという人間の匿名性も守らねば。これも、本名を使わないことを選んだ理由です。

でも、もしかしたら、この先本名で活動したいと思う日がくるかもしれません。または、本名でやっている別の活動を、noteで発信するようなことがあるかも。そういう予感もあるので、そうなったときには、わたしのなかの閾値を超える投稿を非公開にしようかな、と思っています。

名前の由来

「おちぼ」という名前は、「落穂ひろい」が由来です。

わたしが生まれ育った街は盆地で、実家のそばには山に囲まれて視界の端から端まで田んぼがひろがっていました。春、田んぼに囲まれた細い道のまんなかで足を止めると、まあるい淡い青の大空が水田にうつって、天と地のちょうど境目に立っているようで、とてもきれいだった。夏から秋へ、稲穂が育って風にさわさわゆれる景色もとても好きだったし、夜には海の真ん中に立っているような気持ちになりました。

わたしのなかには稲穂が育って、刈り取られて、また植えられるうつりかわりが原風景としてあります。母もこの景色がすきで、わたしの本当の名前のなかにも、稲穂に関連したことばがはいっています。
本名ではないけれど、誰にどう思われたいわけでもないありのままの本当のことばを残していきたいから、そういうエッセンスは残そうと思いました。

あとは、農村社会で残っていた「落穂ひろい」の意味、そこから生まれた慣用句について、それらの言葉そのままの意味ではないけれども、「すべてを獲りつくさずに残しておく」「ひろいあつめていく」ようなエッセンスが、ちょっといいなあと思いました。

落穂拾いとは、収穫期の後に、刈取り人たちが残した麦の穂を小屋住み農や 貧民たちが拾う慣習的な権利である。近代以降になると、とりわけイング ランド東部のイーストアングリアを中心に広く行われた。

L. W. Cowie, The Wordsworth Dictionary of British Social History(1973, London)

今わたしは36歳ですが、ちょうど去年が、これまでのものごとの選択のしかた、思考のくせを振り返り、これからの人生のすごしかたを深く考えるタイミングでした。そのプロセスを経て、今のわたしという人間は、これまで生きてきた歳月からこぼれおちたもの、わたし自身が無視してきた本当はたいせつに思っていたものをひろいあつめて、そうやってできているような気がしています。

そんなこんなで、「おちぼ」がしっくりきた次第です。

家族のこと、暮らしのこと

6歳年下の夫と、5歳年長の長男と、もうすぐ2歳になる次男と暮らしています。海沿いの街ですが、我が家から海は見えません。
かわりに、我が家の前には畑と、林が広がっています。

我が家は高台にはないのですが、坂を登っていくと畑や、林や、海や空を臨むことができます。わたしは、その光景のうつくしさも、海沿いで昔から港へのひとの出入りがおおかったことや関東圏で暮らす街として移住者がおおかったことから人の気質がさっぱりしていることも、とてもすきです。

家は、BESSの家を建てました。
満足ですが、メンテナンスにまで手がまわっていなくて、10年後におびえています。

家族のことは、すこしこのnoteに書きました。
振り返りとしてあとは夫婦のことを書きたいのですが(離婚・卒婚危機を脱するまでのおはなし)、なかなか筆が進みません。なぜだろう。

書きたいものごと

それこそ「落穂ひろい」のように、生きている、暮らしているなかでこぼれおちてしまいそうなことを書き留めていくのが目標です。

誰かに伝えたいと思ったことはエッセイとして、生の感情は日記として、誰かにお勧めしたいものごとは別のカテゴリーで、残していけたらいいなと思っています。
お店のような場所の準備もしているので、その過程を書き残すカテゴリーもつくりたいような気がしてきています。

仕事のこと

わたしは大学を卒業してから留学をして、総合コンサルと呼ばれる会社に入って、それからベンチャーに転職して、フリーランスになりました。

ちいさい頃から世間一般の感覚からはみだしているような生きづらさがあって、自分の居場所を自分で選ぶことができてしばられない、そんな状態を切望していたわたしにとって、組織の評価基準が明文化されていて、土地の慣習や地縁血縁などなく、限りなく自由で限りなく格差社会な都市的経済合理性のなかは居心地がよかったのですが、「わたしは〇〇です」と言い切ることがずっと難しく、それが悩みの種でした。
アイデンティティを見失っているような。

今もまだその延長線上にいますが、あと数年中にものごとがうごきそうな気がしています。そういういろいろなことを、すこしこちらに書きました。

これから、よろしくお願いします。



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