フジファブリックとの出会い

フジファブリックは、銀河のCMを目にして、不思議なメロディーとのっぺりとしたボーカルとピカピカ光る映像が何となく気になる存在でした。
  実はその少し前にもカラオケに行った時に、私が好きだと思うといって  赤黄色の金木犀を友人が歌ってくれていたらしいのですが、その時も受  け入れ準備ができていなかったのか見事にスルーしてしまっていたそう  です。「あの時紹介したじゃん!」と後になって言われました。笑

銀河の発売は2005年の2月。
まだあの年越しを体験する前だった私は、気に入ったCDをひたすら聴くという日々を送っていたので、その後大きな存在となるアーティストとの出会いにも鈍感でした。この年はちょうどSINGER SONGERが活動した年だったので、新しくフジファブリックを追い始めることはあまりせず、年末までSINGER SONGER、くるりとCoccoにどっぷりでした。

しかし、CDJ0506のくるりでライブの楽しさと音楽の力に目覚めた私は、CDで聴くだけではなくライブに行くべきものだと考えるようになります。そして、くるりもCoccoも出演すると発表された06年のRIJFに2日間参加をすることにし、そこにフジファブリックも出演するということが分かっていたので、是非聴きに行こうと楽しみにしていました。

そして、真夏のレイクステージで初めて観た彼らのステージは

・・・何だか不思議??変??でも気になる。何だこれ?????

という感じでした。

その時はまだ音源も買っていなかったはずなので、知っていた曲は銀河くらいだったと思います。
当時のフジは、パフォーマンスもくるりのように安定感があるわけではなかったので、そこで惹かれたというわけではありません。むしろ志村さんのボーカルは味わい深い感じだったので、普通なら気になって嫌になってしまうはずのものでした。それが不思議とそうはなりませんでした。
特に印象に残った曲はTAIFUで、それがまさにどう消化したらいいのか分からないけれども病みつきになる感じで、これはちょっとこの人達を聴かないと、と、なりました。

もう少し早くライブに行けていたら、と、よく思います。

05のCDJにもフジは出演していたのですが、私が行った日ではなかったのですれ違いでした。
もしここで出会えていたら・・・
06年の6月に行われた彼らの初の日比谷野音公演にも立ち会えていたでしょう。

あるいは、銀河を聴いた時点できちんと動いていれば・・・
まだメンバーが手売りで物販に立ったりしていたという四季盤のツアーに参加できていたかもしれない。

考えてもどうにもならないことなんですけど、たらたら考えてしまいます。
でも、いずれにせよ、くるりとの年越し体験がなければその先には進めなかったのかなという気もするので、仕方がないとも思います。

そして、岸田氏がいたから志村さんにも出会えたんですよね。よく考えるのですが、これも不思議なことです。

06年から09年までの私が一番音楽の虜になっていた時期、この時に私は2つのバンドと2人のフロントマンに心底惚れ込んで(いって)いました。
くるりと岸田氏に関しては、はじめからフルボルテージで、フジと志村さんに対しては、徐々に確実に想いが大きくなっていっていく感じでした。

06のRIJF以降、私はフジのそれまでの作品を買い込みました。

そして11月に都内の大学で行われた学園祭ライブに行きます。BACK HORNも出演するものだったので、そのファンの方が多く、会場ではひたすらアウェー感を味わっていたのですが、「ここに(フジの)ファンはちゃんといますよー」と思いながらライブを満喫しました。このライブへ行って、やはりこの人達は付いていくべき人なのだと実感しました。

さらにその1ヶ月後に、渋谷公会堂でのクリスマスライブがありました。

これは私が初めて参加したフジのワンマンライブで、(当時はチケットを一般販売でとっていたので)席はかなり後ろの方で全然よくなかったのですが、それでもだからこそ全体を見渡せ、ライティングなどの演出も前で見るより楽しむことができ、そして何よりそこで歌われる曲の素晴らしさ(セトリもものすごく良かった)に魅せられ、完全に心を奪われました。「新曲」として披露された曲(星降る夜になったら)もとても気に入りました。

その後は、イベントやライブに参加する度に想いが大きくなり、偶然大学の友人と山梨にドライブ旅行へ行くことになっては「志村さんのふるさとだ」とキャッキャしたり、どんどん垢抜けていく志村さんの様子に「これはマズイ」などとよくはしゃいでいる記録がSNSに残っています。笑

2008年の富士五湖文化センターでの凱旋ライブにも、勿論参加しました。

早めに現地に着いて、食事をしたり吉田高校を見に行ったりした後、何をすればいいのか分からず会場まで行き、付属の図書館で「ここで昔志村さんも本を読んでいたのかな?」などと考えながら時間をつぶし、それでも開演にはずいぶん早い時間だったのですが、もうすることが無い!とホールのほうへ行ったら、スタスタとドアから出てくる志村さんを発見し、挙動不審になり凝視してしまった(というか多分おもいきり睨んでたと思う)のも今では良い思い出です。笑

そして、公演や会場もふるさとへの想いとそれを受け止める地元の方々のぬくもりに溢れ、本当に感動的で、志村さんの男泣きにこちらもぼろぼろ涙し、終電にちゃんと間に合うのかとびくびくしながらも来て良かった、素晴らしい場に立ち会うことができたと深い満足で帰途についた記憶があります。

そのまま2009年の年末まで、日ごとに膨らむ想いをエネルギーに、ライブに通う日々が続きました。あの12月にもたくさんのイベントでフジを観ていました。みやこにも行ったし、三大博物館にも行きました。

当たり前に、すぐにまた会える、そう思っていました。

まさかあの日が最後になってしまうなんて、考えてもいませんでした。

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