線からsonglineへ

3月の「線」ツアーから約半年の時を経て、10月には久々の中野サンプラザ公演、そして昨日(11月3日)ハンバートハンバートとのイベントがあり、参加してきた。

新作お披露目ツアーであった「線」で、アルバムに入る大半の曲は披露されていたし、それ以外にも(私は行かなかったけれど)全曲公開イベントなどもしていたはずなので、中野はどんな風になるのかなと思っていたんだけれども、なかなかにすさまじい(?)構成で、なんと、アルバムの曲順通りに、全曲を演奏する・・・それってNOW AND THENなのでは!?という内容で、ある意味度肝を抜かれました。笑

サポート陣もたくさんいて豪華で、アルバムの雰囲気もあるけど、座ってゆっくりじっくり楽しむスタイルがホールに合っていてとても良かった。

ちなみに、私にとっての久々のクリティカルヒットである「その線は水平線」は、「線」ツアーのときにはわりとドライな演奏だった気がするんだけれども、今はわりとどっしりめな感じになっていて、嬉しかった。

アルバム作品を一通りやり終えると、他の時期の曲も演奏していたんだけれども、なかなか出てくることのないfallingやchilli pepper japonaisなど、「坩堝の電圧」の曲が久々に披露されたので、それも意外だった。

ハンバートハンバートとの共演のタワレコ20周年イベントは、基本的に中野と似た構成で、そこに「東京」が入る感じだった。サポートはドラムとギター2本、キーボード。ここ数年「東京」が入るライブは減ったので、ある意味珍しかったのかもしれない。やはり、上京してタワレコと共に歩んできた東京での生活への想いから加えたのかなと感じた。

ハンバートハンバートのライブもとても素晴らしくて、これまで何回か生で聴いたことはあったはずなのに、改めて圧倒された。今度ワンマンに行こう。くるりのカバーは、鶏びゅ~とにも入っていた「虹」と「言葉はさんかく こころは四角」(こちらは初めてかな?)が歌われた。


さて。songlineは、「線」ツアーで曲を聴いていた時に、何となく魂の行方の辺りの時期のことを思い出す感じがしていて、それはわりとスローでギター重めの演奏な曲が多いからなのかなって思っていたんだけれども(そういえば、ギターの松本さんって、魂の行方の頃からサポートに入ってくれてるよね?)、それ以外にも、あの頃から繋がっていて、でも違う形の現在になっているんだなと、アルバム全体と、発表後の演奏を聴いていて思った。

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半年前、「線」ツアーで、披露されていた新曲を聴いていた時、強い衝撃を受けたのが、参加した松山・高松どちらの公演でも確かアンコールで演奏された「News」で、

それはやはりどこかとってつけたような「スクロールするのは親指」からの「気付けば俺も親父だ」の部分だった。

え!?ん??・・・そうか、ついに、か・・・と。曲の中で、出したのか、と。

それは、作品の中での所謂報道としてのニュースを見ている語り手を通した、私達ファンにとってのニュースにもなるものでもあった。

勿論、感じてはいた。特にここ数年のくるりの働き方や岸田氏の言動、曲の変化などを見ていれば、当然透けて見えてくる部分だった。
でも、作品の語り手の口を借りてという形ではあるけれども、こういう風に出してくるとは、想定していなかった。ので、ちょっとした動揺があった。

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それから約半年後に発売されたアルバムでも、「News」はやはり、最後に据えられた曲だった。どこかさりげない形をとろうとしつつも、重大なものでもある、そんな位置取りの背景を感じつつ、くるりの今を象徴する曲だなと思った。

songlineで歌われているのは人生だ。それが魂の行方と通じると感じていたところなのだと今になって思った。

でも、魂の行方のときには、どこかぼんやりしていたりもつれたりしていた見通しが、songlineでは落ち着いて根付いて確かなものになっている。それは、作品の至るところに現れている家族の存在であるとか、それと共に送る日々への慈しみ、その中の一人として、守りたいものを持った者、「親父」としての自覚などがあるからなのだろう。そう、ここ数年で、岸田氏は良くも悪くもたいそう所帯じみた。そしてそれを隠さないようになった。

バンドのフロントマンとしての商業的なイメージ優先ではなく、フロントマン兼一生活人として暮らすというか。


私はくるりにとってはやはり311(312)が大きな転換点になったのではないかと思う。

312の後、真っ先に拠点を京都へ移したこと、そして大きなメンバーチェンジをしたこと(関西勢2人+関東1人の追加、うち関東1人はすぐ脱退・・・しばらくおいて省念さんも脱退)、諸々あってももう一人をやめさせなかったこと・・・

これらは東京中心のミュージックビジネスシーン、その中でのルールから(完全に決別するわけでもないけれども)一定の距離を保って、自分たちの”ホーム”で、心地よいペースで、無理なく、しかしじっくりと音を追求するようになった現在のくるりの方向性を決定づけた。

以前からくるりはまったり系などと言われることはあったけれど、私にとっては「ロックンロール死んでしまえ」なんて歌っていた図鑑の頃のヒリヒリさとか、「気に食わん俺は約束は破る!」なんていう理不尽さとか、フェス中に演奏というか歌が思うようにいかなかったからか、ギターを投げ捨ててキレてしまうような激しさ、ストイックさ、攻撃性(それが時にメンバーに向くこともあったろうと想像できた)とか、そんなところから抽象化されつつ紡ぎ出される、時折苦悩や孤独が覗く詩や曲がくるりの真骨頂というか、惹かれてやまない部分だった。

しかし今のくるりは非常に優しく穏やかだ。鋭さ激しさは角が取れ、優しくなり円熟していった。数年前(?)にみんなのうたの曲を作ったときは、メンバーの産休の関係かなとも思ったけれども、今思えば、「誰かのために働く」こと、それが自然な日々、無理なリリースやフェスなどイベント参加の詰め込みをせず、大切な存在や生活を守ること・・・そのことによって余裕やゆとりも生まれた。

おそらく他の多くの人にとってもそうだったように、311(312)で人生について根本から突き詰め見つめ直さざるをえなくなった結果、変化した生活基盤の中で試行錯誤しつつ辿りついた選択の帰結がsonglineなのだ。

もう、ひび割れた、砂漠のような状態ではない。つらいことばかりでもない。自分のためだけでなく、水を分けあうべき大切な存在もある。だからこそ自分も充分に潤っている。

中野でもDivercityでも歌われた「太陽のブルース」。昔聴いていた頃とはまた違って響いた。一周回って戻ってきたんだ。でもどこか違う形で。そんな感じがした。それは嬉しくもあり、寂しくもあった。

「坩堝」の曲を歌ったのも、きっとあの葛藤の時期を消化できたからなんだろうな。


メジャーデビュー以来、わりとコンスタントに作品を出し続けてきたくるりが、4年をかけて紡ぎ出した作品の重み、その背景。2019年は平日にしかライブしません宣言をしたハンバートハンバートとの共演というのも、どこか必然性があったように思える。

・・・思えばみやこ音楽祭関連でハンバートハンバートを知ってから、もう10年以上か。あの頃、今の世界がこうなっているなんて、全く想像していなかった。10年も経てば世界も変わるし、人も変わる。

「ずっとくたびれたままの心も変わらないわけじゃない」

そうであるならばいいな。

songlineは、そんなあれこれをぐるぐる巡らせながら聴くアルバムだった。

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