名無し1(音)

当初のモチベーションであったNOW AND THEN vol.3までのことについて一段落した感じがあるので、他の趣味のことについてもぼちぼち書いていこうと思います。とはいえ、音楽の話が一番多くなるような気もするので、まずは、これまでの音楽との関わりについてざっくりまとめてみようと思います。

・ピアノ
4歳からYAMAHAの幼児教室に通い、小学校に上がる前に試験を受けさせられ、入学後はYAHAMAの専門コースに行っていました。
グループレッスンと個人レッスンで週2回レッスンがありました。グループレッスンではエレクトーンや色々な楽器で遊んだり(?)して楽しかったのですが、個人レッスンは嫌いでした。分かりやすい練習嫌いです。(笑)
自宅で練習を強制されることが嫌でだんだんピアノが嫌いになっていきます。年に1度あるグレード(進級試験のようなもの?)のたびにビクビクしました。何をしていたのかはだいぶ忘れましたが、ピアノのテクニックを見るもの、初見力を見るもの、聴き取りなどがあったと思います。ソルフェージュもあったかもしれません。(別のところだったかな?)他にも年に1回、発表会がありました。グループの部は楽しみましたが、個人の部はやっぱり好きではありませんでした。それから、同様に年1回、作曲の機会もありました。こちらは楽しみました。私は進みませんでしたが、確か、YAMAHAの全国作曲コンクールみたいなものがあったはずで、それの優秀賞になった作品の譜起こしや、そこまではせずとも再現(耳コピで自分で弾く)といった練習もあったような気がします。この手も課題はわりと好きでした。
10歳前後の頃、学校の音楽の先生に「君には絶対音感がある」と言われ、ふ〜ん、と思いました。個人レッスンで例外的に好きだったシリーズは湯山明さんの「お菓子の世界」とドビュッシーの曲でした。
小4で専門コースを修了した後は、上級コースというのがあって、確かそこまでグレードを取り続ければYAMAHAの先生になれるという感じのものだったと思うのですが、私はそちらには進みませんでした。だいぶピアノが嫌になっていましたし、それ以外にもゴタゴタしていることもありました。
結局、専門コースで教わっていた先生のお宅へ個人レッスンで通うことになったのですが、もうやる気が全然起きず、レッスンまでに全く自宅で練習をせずに行くということもざらで、何で自分はこれを続けているんだろうと思っていました。無気力というよりも怒りが生じていました。音楽が楽しいからレッスンを受け始めたはずなのに、好きだったはずなのに、どうして強制されるんだろう。他のゴタゴタや反抗期も重なって、ある日私はプツリとピアノを弾くことを辞め、その後は意地になって蓋を開くことさえしませんでした。おそらく中学に上がる頃だったと思います。
YAMAHAでレッスンに通っていた楽器屋の社長さんはよく「ピアノは絶対14まで続けてください。そうしたら大人になっても、一生続けられます。」と言っていました。私はどこかでそれを意識しながら、「14まで続けられなかったな」という気持ちと「だから続けなかったのかな」という気持ちを持っていたように思います。


・絶対音感
絶対音感のあり方はおそらく人によってまちまちだと思います。私の場合は、音楽や旋律として認識のできるもののみに対する絶対音感があります。だから、雨音の音階とか、コップをテーブルに置いた時の音とか、そのような類のものは認識しません。
楽器によって奏でられた曲やメロディーとして認識できる歌などは、音階で認識されてしまいます。相対音ではなく絶対音としてです。生活する上でのメリットはまずありません。(笑)むしろ困るのが、歌を聴く場合です。私の場合、歌を聴いても、頭の中でまずは音階に置換して認識されてしまうので、歌詞がなかなか頭の中に入ってきません。だから、歌詞を聴きとれるようになるには、メロディーに慣れてそれを気にしなくてもよい段階になる必要があります。そのため、歌詞を味わう場合は、歌詞カードを読んで理解するか、曲をだいぶ聴き込んでから頭に入ってくるのを待つかのどちらかの場合が多いです。


・部活(音楽関連)
小学校では合唱部に所属していました。本当はクラリネットが吹きたくて吹奏楽部に入部したはずなのですが、音楽の授業で歌の試験があったとき、合唱部に変えられてしまいました・・・わりと強豪校で、私のいた時代には東日本大会まで進みました。そんな風に力が入っている感じだったので、在学中に世界三大少年合唱団の方々と一緒に歌う機会があったりもしました。それはとてもexcitingな体験でした。

中学校では吹奏楽部に所属していました。当時はサックスが吹きたかったのですが、顧問の先生にいきなり「あなたの唇はホルンだわ!」と言われ、ホルンにされそうになったので、必死に吹けないふりをして、無事、サックスに落ち着きました。本当はアルトが良かったのですが、テナー担当でした。主旋律をほとんどアルトが持っていくので、当時は不満を持っていましたが、今考えてみれば、自分のキャラ的にもテナーのほうが合っていたと思います。良い対旋律がたくさんありました。ただ、楽器が重いのはつらかったです。きっと骨盤も歪みました。(笑)あと、テナーサックスはB管でした。楽譜で「ド」で書かれているのに出てくるのは「♭シ」です。楽譜と実音がずれているので苦しみました。

高校時代はひたすら無気力だったので部活には無所属でした。

大学時代は一転、色々なサークルに顔を出していましたが、音楽関係(?)では、社交ダンスに関わっていました。運動は大嫌いなのですが、社交ダンスは音がかかっているせいか動くのもそこまで苦ではありませんでした。ただ、ワルツなどでくるくる回ると目が回るので大変でした。


・聴いてきた曲
小学校中学年くらいまでは、レッスン関連でピアノ曲、エレクトーンの曲、声楽のCDなどと、何故かフォーク(?)を聴いていて、さだまさしさんが激お気に入りでした。今考えてみてもしぶすぎます。
小学校の高学年になると、さすがに普通のヒットチャートに上がっているような曲を聴くようになりました。ミスチルにハマっていました。

中学〜高校時代は、これまた極端なのですが、いきなり洋楽に走り始めます。自分のいる場所が嫌だったのでしょう。TVKテレビの洋楽番組にずいぶんお世話になりました。視聴者プレゼントでチケットを頂いたり、アーティストのコンサート以外のイベントに行ったりもしていました(BOYS Ⅱ MENがバスケをしているところの見学?など 笑)。
ライブハウスデビューはローティーンの頃、ON AIR WESTであったsavage gardenのライブです。会場の場所がなかなか分からなくて迷いまくったこと、ライブ中よく分からないまま雪崩にあって危ないと思ったこと、そんな中で見た照明のレーザーのことが印象に残っています。その他は比較的大規模な会場のライブにちょくちょく行きました。savage gardenの他はわりと同世代のアーティストのPOP寄りの曲を多く聴いていたように記憶していますが、ある時期から猛烈にQUEENは気に入り食い入るように聴くようになっていました。

具体的な時期は忘れましたが、高校の途中位にCoccoの存在を具体的に知り、歌詞に猛烈に惹きつけられました。
それまで聴いていた洋楽は、どちらかというとサウンド重視だったように思いますが(savage gardenは歌詞も好きですが)、えぐられる歌詞というものの存在に気づき、それはやっぱり英語よりも日本語のほうが感じやすいものだな、と、久しぶりに邦楽を聴くようになりました。しかし、そうは言ってもヒットチャートには全く興味はなく、琴線に触れたものをひたすらエンドレスリピートで聴くという形でした。Coccoは間もなく活動を休止してしまったので、その後は彼女の過去作品を聴いたり、QUEENを聴いたり、今思い出しましたが天野月子さんを聴いたりしていました。しばらくすると、きっかけは謎ですが、くるりのTEAM ROCKを猛烈に聴くようになりました。その頃、あとはバンプのユグドラシルやレミオロメンもわりと聴いた気がします。ライブにはあまり興味がなく、整えられた音源を繰り返し聴く日々でした。しかし、その後、くるりで邦ロックのライブを初体験し、衝撃を受けライブジャンキーになります。(笑)

・ワンマンライブに行ったことのあるアーティスト(回数が多そうな順)
くるり、フジファブリックCocco、ミドリカワ書房、清竜人、サカナクション、Base Ball Bear、チャットモンチー、メレンゲ、うみのて、Czecho No Republic、マイアバルー、レミオロメン、Jeepta、John John Festivalなど


昔は固い意志でもって音楽はしないと思っていましたが、今はそうは思っていません。レッスンをやめた後はずっと「受け手」の側でしたが、何だかんだで私は音楽が好きでしたし、その存在に救われていました。
もう強制をされるわけでもありませんし、時間や余裕のあるときに、自分からまたやり直してみたいと思っています。

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