2009年12月25日

その日は何てことのない普通の1日のはずでした。

チケットがとれなかった岸田氏が出演するクリスマスイベント@代官山UNITに、ダメ元で行ってみようかと家を出た後のことでした。


当時使っていたSNSのフジファブリックコミュニティーに「志村さんが亡くなった」という書き込みを見つけました。

「ありえない」と思いました。
年末だから変な人が出てきたんだろう。12月25日だから、この日に対して複雑な感情を持つ人がヤケになっているのかもしれない。それにしても悪質すぎる。許せない。

憤慨しながらも、どこか気になってしまって、代官山へ向かう途中でネットカフェに入り、フジのオフィシャルサイトを確認しました。
そこには信じられないことが出ていました。

先の書き込みは嘘ではないと、分かりました。

何で?どうして?
どう考えても納得できない。間違いとしか思えない。
でも、オフィシャルで?どうして???何なの???

ほんの少し前に、みやこや三大博物館でライブを観たばかりで、あと数日で、当たり前にまた会えると思っていたのに。

悪い冗談すぎる、悪い冗談であってほしい、あの渋公ライブから3年、よりによってこんな日に。
いきなりすぎるし全く現実味が無い。
信じることも受け止めることもできませんでした。

思考停止状態に陥った私は、目の前に突きつけられている現実に蓋をして、何も考えないようにして、そのままUNITへ向かいました。


UNITはキャパのあまり多くない会場です。案の定、外には空き待ちの人々が多数集まっていました。
イベント開始前に到着をしたのですが、とても入れるような状況ではありませんでした。
それでも藁にもすがるような思いで、もしかしたらチャンスがあるかもしれないと待つことにしました。


やがてイベント開始時間になり、そのまま無下に時間は過ぎていきました。
それにつれ、少しずつ、諦めて帰宅する人が多くなっていきました。それを眺めながら私はひたすら混乱していました。

何のためにここにいるんだろう。

この場所にいてもきっとずっと会場に入ることはできないだろうと、わりと早い段階で気づいてはいました。
12月25日に、しかも志村さんが亡くなったというニュースが出ている段階で、自分は何をしているんだろう?という強い罪悪感のようなものもありました。
でも、やっぱり、現実感が無さ過ぎて信じられなかったし、もし万が一そうだったとしても何をすればいいのか分からなかった。何より暗い部屋に帰りたくなかった。

思考停止するために興奮しているような、変な焦燥感を抱えながらもぼんやりしているような、おかしな状態でした。
そんな中、いつしか日付も変わり、さすがに終電が近づきます。

それまで同じく1人で来ていた待ち組のお兄さんとぽつぽつ話していたりもしたのですが、お兄さんも時間を気にし始めます。
「これからどうします?」

帰ってもどうすればいいのか分からない。
けど。
このまま残ってもほぼ入れることはない。
電車がなくなる。帰れなくなる。

「どうしましょう・・・」
本当にどうすればいいのかなんて、分からなかった。

何度かこんなやり取りが続き、しばらくするとお兄さんは「僕、帰ります」と身支度を始めました。

どうしよう。
寒い。こんな真夜中に一人で外でどう過ごせばよいのか分からない。
どうしよう。

混乱状態の中で自分がおかしな判断をしないか不安になりました。
「私、もう少し待ってみます。」
もう帰ろうと決めながら言いました。

「本当に帰りますから、ね。」
後ろを振り返りながらお兄さんは去りました。

しばらくして私も終電に乗り、家に向かいました。


電車を降り、駅の近くに停めていた自転車をとりに行きました。
さすがに最終電車後なので、街には人気もなく、静まり返っていました。
車道を走る車もほとんどありません。

自転車を漕ぎ始めるとボロボロと涙が流れてきました。

何なんだろうこれは。本当に現実なんだろうか。そうだとしたら、あまりにひどすぎる。

強く強くペダルを漕いで、泣きながら歌って帰りました。

部屋に着くと布団をかぶって泣きました。全く訳が分かりませんでした。

後に、志村さんの件を受け、この日イベントで岸田氏が泣きながらロックンロールを歌っていたということを聞きました。それを聞いてまた泣きました。

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