自分らを「犬の子孫」と信じる「ヤオ族」の精神世界を求め、写真家・十文字氏は彼らを探しに行く。探しに行くというのは、「ヤオ族」という対象と同時に、己の内面にある「見る能力の限界を広げる」という写真家欲でもある。
「ヤオ族」は、漢民族の進出により、山岳地方に移動(13世紀頃)。北部広東、西部広西、東部雲南などへ。
なんの手がかりもないまま「ヤオ族」と接点のあった「アカ族」との場面から物語は始まる。この本は、写真家魂の旅の記録であるが、半村良氏のSF伝奇もののようでもあり、インディアンの呪術師に学んだカスタネダ(人類学者)の体験記のようでもあった。
十文字氏は、偶然か必然か、「ヤオ族」の呪術師「老四」に受け入れられ、生活・儀式を共にする。「老四」の言葉を残しておきたい。
老四と十文字氏の、「ヤオ族」の古文書「評皇券牒」を探る旅がはじまり、クライマックスへ向け、引き込まれていく。
私の初読では、ここまでを書き写すのみ。犬の神話は、自分の腹に落とすのに時間を要しそうなので、ここに書かない。藁の人形をつくった時点で、命が吹き込まれる考えは、少し前の日本人なら持っていた感覚。水への信仰を持ち、言霊同様、呪術となるのは、出雲神話を思い出す。
目の前のモノ・事を、見ているようで見ていない。
見たモノ・事を腹に落ちてきてこそ、見た、と言えるのかもしれない。
私は何を見て生きてきたか。
何も感じてこなければ、それは(心の)盲目ということか。