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再読「危ない言葉」松岡正剛 著・鎌田恵理子 編集・構成(求龍堂 2010)

アフォリズム(教訓や格言)は、短い文だから、簡単に読めそうだけど、その意味するところに辿り着くために、自分の経験してきたことや類推で、橋を架けて、また架けて、としていかないと辿り着けない。これは、俳句や短歌なんかも同様ですよね。逆に厚めの本の方が、「そこ」へ辿り着くのは早いのかもしれない。


一個の「私」なんてどうでもいいじゃないか。

機会と見当-あとがきに代えて 『眼の劇場』 1980年 / 36歳

どう考えても、われわれはもともと損なわれた存在であったのである。

フラジャイルな反撃 『フラジャイル』 1995年 / 51歳

われわれが好きなものに面と向かって総力をあげる気がなくて、
どうして人生の切実と豊饒に向かえるというのだろう?

リーアン・アイスラー 聖杯と剣 「千夜千冊 第905夜」 2003年 / 59歳

挫折、敗北、葛藤、矛盾、脆弱、はかなさ、断片的なもの。
つまり非体系的で未完成なもの、
言いあらわそうとして言いあらわせないものにこそ、
編集のエネルギーがある。

『一到半巡通信』第22号 1997年 / 53歳

あのね、読書には、そもそもそこに凹んだところと尖ったところがあるんだね。尖ったところは、どちらかといえば才能がほとばしったところか、さもなくば我田引水なんだ。
だからこそ絶対に逃していけない大事なところは、凹んだところなんですね。そこは痛切というものなのだ。その痛切を読んでいかないと、歴史や人間のことは伝わらない。
なぜなら、その痛切は我田からではなく、むしろ他田から引かれてきた水であり、そこに浮かんだ舟のことなのだ。

沢史生 鬼の日本史 「千夜千冊 第834夜」 2003年 / 59歳

本を「組み合わせファッション」や「皿に盛った料理」にするには、洋服や物やスニーカーのように取っかえ引っかえて”本を着る”必要がある。
それから本を読んでいるときに、「他の本から電話がかかってきた」という感覚をもつといい。
また、五、六冊の本がベンチに並んで座っているところへ自分から割りこむ気になるといい。
すぐにそれができないのなら、まずは書店というものを、本屋をよく知ることだろう。

小川道明 棚の思想 「千夜千冊 第752夜」 2003年 / 59歳