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よんだ「シャドウ・ワーク - 生活のあり方を問う」I. イリイチ 著、玉野井芳郎 訳(1982)

一ヶ月ほど前に「書くこと」を一度断念してましたが、また、やってみます。本を読んでいるとき、気になったところにシャーペンで線などを引いてます。もっと気になったところに赤鉛筆で線などを引きます。引く基準は直観であって言語化出来てません。

さて、転記します。もう、赤鉛筆のあたりだけ。naka

経済の発展=開発はまた、やがて、商品を買うほかなくなることをも意味した。なぜなら、商品なしで暮らすことのできる条件が、自然的・社会的・文化的な環境から消滅したからである。

序 P.  6

生まれた時から、病院代で金がかかる。これは死ぬまで。でも、これは大昔からじゃない。これは仕組まれたこと。naka

共用地に囲いを作ることによって、領主が農民の一頭しかいない羊を追い出し、その結果、農民から市場の周辺での生活手段を奪い、彼を初期産業社会の賃労働へと追いやった

序 P. 14

まったく新しい女王の権力を増大するために彼の文法を使用すること、また人々が毎日いとなんでいる生存のあり方を国家が管理することを論じたのであった。ネブリハは、事実上、人間生活の自立と自存にたいする宣戦布告の大網を起草している。これは新たな国家が組織的におこなおうとしている戦争である。彼が意図していたのは、教えられた母語でもってヴァナキュラーなことばをおきかえることであった。普遍的教育の最初の発明物なのである。

3 ヴァナキュラーな価値 P. 113

アントニオ・デ・ネブリハ(1444 - 1522)
スペイン語の最初の文法の著者であり、スペイン語の最初の辞書。

庶民を管理(征服)するため、人工語を用い、教え育てることを女王に提案。こいつの名前は覚えておこう。嫌いなやつの事は忘れちゃなんねぇって、知人が言ってた。naka

先例のない性の経済的分割、先例のない経済的な家庭概念、先例のない家事領域と公的領域とのあいだの対立によって、賃労働が生活に不可欠な随伴物となった。

6 シャドウ・ワーク P. 206

生活の自立・自存の活動から、ともに効果的に遠ざけられた男性と女性は、雇用主の利益と資本財への投資のためになされる、他者による搾取の要因となった。

6 シャドウ・ワーク P. 207 - 208

理想的な人のあり方は、「大草原の小さな家」のように、なるべく自給自足出来る生き方(リバータリアン)だと私は思う。政府があったとしても、なるべく最小限にしてもらいたい。そうでないと、今の日本みたいに官僚・政治家の好き勝手になる。重税度は増すばかり。
今の「賃金労働者」は、昔でいうところの奴隷であり、それは私もあなたも、であると思う。naka

現代の女性は、経済的見地からみて報酬が払われていないということに加えて、人間生活の自立・自存の見地からみても実を結ばない労働を強いられており、そのためかたわ者にさせられているという事実

シャドウ・ワーク P. 213

女性優位社会から男性優位社会になったのは、ヨーロッパでは、ギリシア時代からだったか。これは最近読んだ「マネー」に記載があった。
男性優位社会になっても、女性たちは抵抗したが、「魔女狩り」で一掃された。さらに産業化時代となり、賃金を得られないシャドウ・ワーク(家事+α)をさせられる事に。
シャドウ・ワークがあってこそ、賃労働が成り立つ。シャドウ・ワークは賃労働に従属することで、賃労働と家事の対立軸が生まれる。結局のところ、分断統治だ。第三者がほくそ笑む。naka

ヨーロッパの民衆文化の破壊にかんする報告
 現代は、生活の自立と自存にとっての環境を破壊し、それを新しい国民国家という枠組内で生産される商品におきかえるように仕掛けられた過酷な五百年戦争の時代であると解釈しうる。

注と文献解題 P. 253

現代の夫婦と核家族
 核家族は新しいものとはいえない。先例のないものといえば、それは、生活の自立・自存を欠いた家族を規範に仕立てようとする社会であり、またこの新しい家族をモデルにすることを拒む二人の人間のあいだのあらゆるタイプの結びつきを差別しする社会である。この新しい実体は、十九世紀の賃金稼得者の家族として存在するようになった。その目的は、ひとりの中心になる賃金稼得者とその影法師を夫婦として大きく結びつけるものであった。

注と文献解題 P. 265

いまや女性はすべて既婚者となることを要請され、子供を産むこと以上にすばらしい貢献はありえないものとなった。

注と文献解題 P. 273

学校化によって自分で学ぶことを忘れつつある社会、加速化によって自分の足で歩くことを忘れつつある社会、医療化によって自分で癒やすことを忘れつつある社会。

解説 P. 278

権力に抗うことは難しい。それでも、権力の抑制と縮小を求めたい。
なんて「時代」だ!と、気付いた人らは皆が思ってきたことだろう。
「この素晴らしき世界」を歌っていたサッチモ(ルイ・アームストロング)は、こんな世界だからこそ、「素晴らしい事」に目を向けたのだろうか?naka