「회심곡」Kim Young-Im(回心曲)

https://www.youtube.com/watch?v=7Oz0TEpwEqs&list=OLAK5uy_mvSq0KuFDK3Eyvv406h8kVbKHMOL4DCbk

アンビエント・ミュージックばかりを聴いていて
ふと思い出す仏教音楽。韓国の回心曲。
「癒し」という浮遊した感じより、「沈静化」という強めの曲。
韓国伝統語り芸 パンソリのように、特徴的な発声が与える波動が
おしよせる。銅鑼の音で時空が引き締められる。 naka

http://www.kampoo.com/jp/music/kyi/top.htm#google_vignette

(転載はじめ)
回心曲とは、18世紀朝鮮時代に西山大師と言うお坊さんが仏教の布教の為に作った歌です。内容は親孝行し、貪欲心を捨て、日頃良い行いをし、仏様に念仏を唱えて、極楽に行ってから太平歌(何の心配もない平和な時に歌う歌)を歌おうとの内容で、人が生まれて、親に育てられ、死に至るまでの話を語っています。

1.人生の道
2.親の恩
3.何年生きるって言うのか
4.死への道
5.あの世への使者
6.風道地獄
7.極楽旺盛
 
(転載おわり)


日本仏教は、中国・韓国仏教とはまた異なった宗教かもしれないのですが、
「回心」という言葉について。

https://blog.buddha-osie.com/kotoba/782/

(転載はじめ)
「回心」について
親鸞は、世間でいわれる“懺悔(仏教では「さんげ」と読む)”や“
回心”といった類の事柄は、全て“自力のはからい”として斥けているのです。
そして“回心”という言葉に関しても、所謂、日常の些末的な場面でもよおす“改心”などではなく、往生ということについてのみ、この言葉を用いたのです。

この、日常生活における“改心”は、いうなれば“反省”のことです。

信心を得たからといって、自身が超人的に変貌を遂げるものではありません。
自身の日常は至って「信前信後」の相違はない。
「造悪無碍」や「本願誇り」の類とはスレスレのところで生きている
現実があります。
「懺悔滅罪(さんげめつざい)」という言葉がいます。
仏菩薩に自らの罪業を懺悔して、滅罪の功徳に与るというものです。

『涅槃経』には、阿闍世王の「懺悔滅罪」(=反省すること)が
示されています。
阿闍世王は父王を殺害した悪業によって、身体を病む。
結果、これまでの悪業を「懺悔滅罪」し、釈尊に帰依することによって、
心身は癒えていくのだと思います。

回心とは、“心を悔い改める”ことではなく、
“心を他力に任せる”ことではないでしょうか。
(転載おわり)