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再読「リスクな言葉」松岡正剛 著(求龍堂 2011)
抜粋です。naka
グローバル資本主義は、普遍的な文明を広げたがる啓蒙主義である。
それは、合意と契約をふやして国家の基盤を弱らせる。
企業をコンプライアンスで縛り、さらには各国の文化を蹂躙しながら、
雇用を不安定にして、労働力を低下させる。
おまけにも、誰もかもを見えないリスクで不断に脅かしていくことになる。なぜ、世界はこんなものに騙されたのか。
市場原理を歴史や社会が思想や哲学にする謂れなど、ないはずだ。
まして「自由」の本質に結びつける必要など、あるはずがない。
ヨーロッパ人は自分たちの位置が世界の圧倒的優位にあることを示すため、
かなり”せこい”ことをしてきた。
メルカトール図法を波及させてヨーロッパを大陸扱いし、
イギリスをインドほどの大きさにして、
そのぶんインドを「亜大陸」と呼び、
途方もなく大きな中国をただの「国」(country)にした。
そもそもアジアを含む「ユーラシア」という言い方が
あまりにヨーロッパに寄りすぎていた。
問題は日本人が何もかもを見て見ないふりをして、
いまなお日本を見捨て、日本を見殺しにしつづけているということだ。
成長志向や上昇志向というコンセプト。
いったい、なぜ負けてはいけないのか。
日本はこのあたりがかなりおかしくなってしまった。
禁煙が強制されている。
なぜにこうも急に、何かを広域禁止しようとするのだろうか。
ぼくがビョーキキであるのはもとより承知だが、
それ以上の広域急性麻痺にかかっているとしか思えない。
それだけではなく、最近の日本人たちはなぜ自分で決断しないくせに、
何かを嫌うための付和雷同をしてしまうのか。
なぜ、何もできなくすることのほうに、加担してしまうのか。
「明日のミス」ばかりを気にして生きるような日々なんて、
これは世も末だ。