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【文字数 : 1,281文字】

既に持っている読みたい本を探そうとするも、いっこうに見つからない。
読んだ本を書棚に納めていけば、
おそらくは、「書棚に収められる本」と「脳の中の本の居場所」が一致して探し出せるのだろう。でも「ツンドク本」の場合、
(私はだが)脳の中に本の居場所を記録出来ない。
これではいかん、と本の処分をはじめる。
全部、処分出来れば、すっきりするが、なにせ「松岡正剛の千夜千冊」の本を集めているところである。現在進行形で集めているが、読むことは余り出来ていない。これは捨てられない。「千夜千冊」以外は、捨ててきた。
宮本輝さんの自伝的小説「流転の海」はだいぶ前に処分した。
(こう書くのは、心残りがあるのでしょう。)
「千夜千冊」には、メインテキストとサブテキストがあり、メインテキストは、今、1847冊になっている。サブテキストも含めると、数万冊になるんだろうが、基本、メインテキストを集めている。が、気に入った作家のものだったり、手軽に購入出来る場合は、サブテキストも購入したりする。
収拾がつかなくなってきたので、サブテキストを処分しはじめている。

さて、サブテキストか、「千夜千冊」以外のものか不明なものがあらわれた。鎌田茂雄著「正法眼蔵随聞記講話」である。松岡正剛の千夜千冊:988夜が道元の「正法眼蔵」であるが、現代文でもないので、正直読めない。
で、現代文6冊のものも購入しているが、ほっぽりだしている。眠くなる。
というような状況で、「正法眼蔵随聞記講話」は捨てがたく、
少し中をのぞいてみる。

「捨てることの大切さ」という文字に、頁をとめる。
幸田露伴氏の随筆分を取り上げ、更に読みくだき文にもしていただき、
以下転載。

取ることだけを知って、
捨てることを知らないのは大きな過ちであるという。
(・・・)
しかるに人はことさらに必要のないものを取って、自らを苦しめている。
(・・・)
あらゆるものを捨て去ってしまえば、
まさしくそれは清風流水の境地になるのである。

「正法眼蔵随聞記講話」P. 162-163

いやはや、身の丈に合わない収集をはじめ、
いや、そのツンドク自体が本末転倒か。
。。。しかし、捨てませんけど。

「捨」というのはできるようでできない。
(・・・)
栄西が貧乏人に仏像の材料を平気でやれたのも、
まさしく「捨」の思想を淡々と行じたからにほかならない。

「正法眼蔵随聞記講話」P. 163

とうことで、栄西『洗心録』より。

物を失った場合に「心を痛めざるの工夫」ができなければ、
物を得て心を喜ばすことも、あえてしない方がよいというのである。

「正法眼蔵随聞記講話」P. 164

まったくですな。今後は、買う一方だけにせず、買ってから捨てるまでを想定して、買いたいと思います。
しかし、買ってしまった物は、どういたしやしょう。まず、この鎌田茂雄著「正法眼蔵随聞記講話」は、道元著「正法眼蔵」の山を登る前の、初級者コースの山でしょう。その後、中級者用の本があり、上級者の「正法眼蔵」となるわけでして。
。。。ほかの本を捨てることといたしやしょう。
選ばれた本には申し訳ないですが。