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土壌作りがしたいのかもしれない

先週の月曜日、友達兼ビジネスパートナーと、友達兼憧れの人と3人で飲みに行った。彼らが再会するのはおそらく1年ぶりとかで、2人が飲みに行くのは初めてだった。2人からそれぞれ個別に「いきなり2人は緊張するから、なみちゃんも来てよ」と連絡をもらい、私も一緒に飲みに行った。

2人の間に立たなきゃ、繋げなきゃ、みたいな使命感に似た気持ちがほんの少しあったのだけど、一切発揮することなく終わった。

2人はお互いにSNSをフォローして日頃から様子を見ていたり、私の口からなんとなく双方に2人の話をしていたり、あとは2人の人当たりやコミュニケーション能力によって、会っていない期間が長くても全く問題はなく、2人とも終始楽しそうにしていた。

友達同士が楽しそうにしていて、私は嬉しいと感じた。

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私は、人と人を繋げたい、そのハブになりたい、とは思わない。その役割を偶然果たすことはあっても、それが目的になったことはこれまで一度もない気がする。

だからこの前(たしかコーチングを受けているときに)、「なみちゃんがしたいのは人と人を繋ぐ、みたいな役割なのかな?」と言われて違和感を覚えた。

うーん、なんか違うんだよな。

繋がることで楽しくなるといいねぇ、とは思うけど、わざとらしく場を設定したりはしたくない。強引に引き合わせたりはしたくない。
まちの先輩たちがやっているみたいに、軽やかに、気づいたら、繋がっている、みたいなのが理想だ。

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あぁ、書いていてちょっと分かってきたのは、私は土壌作りの方がしたいのかもしれない、ということ。誰かと誰かを繋ぎたいんじゃなくて、誰かと誰かが繋がりやすくなる環境作りがしたいのかもしれない。

深く考えられていないけど、とりあえずメモ的に書き残しておく。この文章を、いつか、どこかの誰かが、もしかしたら読んでくれるかも、と思いながら。

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