くるりとゴーストワールド

連休中にやろうと思い、持ち帰った仕事も進まず、ほとんど何もしていないのに疲れた連休だった

20日の夜はくるりの音博の配信を見ていた   

くるり、ずっと好きだな            10代の頃からずっと聴いてきた        

昔から好きなドラマや音楽や映画が人とは合わなかったけどそのことを少しさみしいと感じながらも、それなりに周囲に馴染んでいたんじゃないかと思う                      高校の制服のスカート丈は超ミニでつけまつ毛をつけて黒の太いアイラインを引いて、ルーズソックスか紺のハイソックス              引き算なんてない 足して足して、の時代だった                      自分で染めた髪色が失敗で落ち込んでみたり、バイト先の大学生が大人っぽくてかっこいいとかそんなどうでもいい話ばかりだったけど、意志を持たずとも好きを共有せずとも混ざっていられるあの雰囲気はありがたかったし嫌いではなかった 好きな人が飲んでいたからという理由で本当は苦手ないちご牛乳を無理して飲みながら、ささやかにゆるい人間関係に参加していたあの頃の方が、今よりもずっと順応性が高く、社会という大きな枠組みの中に所属できていたのではないかと思う

10代特有のこじらせや視野狭窄っぷりは発揮していたし、毎日いじけてたけど、それでもなんとなく、なんとなくやっていけてた           今じゃあもう世間に順応する気なんてない、そんな気力ない                   一人でいたい、一人でいさせてくれ       他人とちょうど良い距離をとることだけがうまくなってしまった  

10代後半から20代前半、わたしはMDウォークマンでスーパーカーを聴き、ヴィンセントギャロに夢中だった                    渋谷の映画館へ当時上映されていたガーゴイルを観に行って、帰りの電車で貧血を起こした記憶がある 食事をきちんと摂っていなかったので当然と言えば当然で、フラフラで自宅へ帰り母親に叱られたことと、スクリーンの中のベアトリスダルの強烈な可愛さをよく覚えている

映画ゴーストワールドを観た時はイーニドと自分を重ねずにはいられなかった           世界にうまく馴染めず、仲が良かった友だちはいつの間にか世の中に対して柔軟になり、大人になってしまい、ひとり取り残されていく        親との関係も良好とは言えず恋愛もうまくいかない                      いよいよイーニドの居場所はどこにもなくなり、物語はエンディングへと向かっていく

わたしはこの映画のエンディングをハッピーエンドだと思っていた                イーニドが乗ったバスは彼女の行きたい所へ向かっていくのだと信じていた            大人になりゴーストワールドが好きだという人と話しをした時に、あれはバッドエンド、デッドエンドだ、と言われ改めて観返し、なるほど、と思った                      ただ、やっぱりバッドエンドと言い切ることはわたしはできない、したくない           今でも、運行停止のバスへ乗った彼女にはその先があると思っている               乗らないでいる、向かわないでいる方法もあったけれど、彼女はそれを選んだのだ         デッドかハッピーかだなんてもはやどうでもいい                      人生はそのどちらでもない時の方がきっと多い  彼女が選んだ未来はきっと彼女らしい未来に決まっているし、イーニドはずっとイーニドでいたのだ 

くるりの音楽を聴いている時、そんな昔のことがフラッシュバックしてたまらなくなった      心の中にイーニドを残して大人になってしまったそして東京に出てきた

東京からのロックンロール                                        切なすぎて、優しすぎて、涙が止まらなかった  報われなかったあの時の、世界に馴染めなかったわたしが報われた気がした          

音楽が止まっても、映画が終わっても、生きている以上わたしたちの物語は終わらない       嫌いな人間が増え、嘘をつき、隠さなきゃいけない心も増えてきた                無知で愚かな大人のわたしは、いつかわたしのバスを走らせなければいけないように思う      そのために必要なほんの少しの勇気の欠片のようなものをくるりがまた作ってくれた

配心、ありがとう 

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