カーディBのWAP論争
カーディBとメーガン・ジー・スタリオンのヒット曲「WAP」が面白い議論を起こしている。
コロナと同時にBlack Lives Matter運動が起こる混沌としたご時世に、パワフルな表現で、挑発的な歌詞とミュージックビデオ(以下MV)で「これはポルノである」「女性が主体的に性を主張するフェミニズムである」と意見が割れている。
カーディBはニッキー・ミナージュと並んで、私の中で攻撃的にドラァグする女性として好きな存在。(カーディがニッキーに殴りかかって不仲らしいけど)
とんでもない歌詞にも関わらず「WAP」は大ヒット中。ダンスチャレンジでTikTokなどで数十万を超える参加が。
(歌詞の内容は"WAP 和訳"とかでググってもらえれば・・・)
2014年のニッキー・ミナージュのヒット曲「アナコンダ」はSir Mix-a-Lotの尻のデカい女性についての「Baby got Back」をサンプリングして、性的な歌詞とMVで黒人女性の身体賛美や性的解放でエンパワーメントする反面、眉をひそめる人もいる2面性で「WAP」と共通点がある。
批判
大ヒットし、YouTubeの再生も伸びているが、各所から「表現」について批判が起きている。
ラッパーからは「恥知らずで野蛮」と言われ、
元共和党議員で保守派コメンテーターからは、女性のジェンダーを100年後退させる不快さと言われ、
アメリカはカーディなんかよりメラニア・トランプ(トランプ大統領夫人)のような女性が求められていると言われ、
カーディはメラニア・トランプのヌードとWAPの歌詞を引用してツイートし、応戦した。
他にも、共和党員は「信仰心、強い父親を持たず育つとこうなる」と嘆き、保守的なコラムニストは「これは女性のエンパワーメントにはならない」と批判した。
さらに、MVに虎が出てくることへ怒って、Netflixの「タイガーキング」に出てきた保護団体代表者が乱入。
カイリー・ジェンナーがビデオに出ていることについて、登場シーンをカットすべきという議論も起きた。
インターセクショナリティ
以前もカーディはトゥワークしまくるMVを「#MeToo時代に性を売りにするなんて」と批判されたことがある。
これに対して、カーディは性的表現をすることは個人の自由であると反論している。
フェミニズムが掲げる「女性」が中流階級の白人女性を対象としてきた中で、カーディは黒人女性としてストリッパーやギャングに在籍していた過去を持ち、社会的に成功した現在は、民主党支持派として積極的に活動している。
その在り方は、インターセクショナリティとして人種とジェンダーが交差する差別を克服するブラック・フェミニズムを体現している。
メーガン・ジー・スタリオンは、ラッパーをしながら大学で医療経営を学んでいる。家族親戚の中で女性として学業をおさめる義務を感じていると語っている。
2014年のニッキー・ミナージュの「アナコンダ」には、主体的な性を賛美しつつ、わりと無邪気に自分に魅力があるから男性にブランド物を貢がせるという歌詞があるが、「WAP」では夫に現金をプレゼントするほど充分に富を得た立場のカーディが、性を売りにして貢がせることを歌詞に反映することは、過去の自分への批判と女性アーティストが揶揄される枕営業を皮肉気味に表現しているのかもしれない。
批判も多いが、同じ有色人種女性として、民主党議員のアレクサンダー・オカシオ・コルテスはカーディを応援し、曲名「WAP (Wet Ass Pussy)」を文字って「Women Against Patriarchy」とコメントしている。
性を売りにすること、性的解放
クラシックなボルチモアハウスの曲、Frank Ski「There's Some Whores in This House=この家には売春婦がいる」のトラックのリフレインにのせて、奔放な歌詞が乗っている。
批判の内容に多いのが、「WAP」にある性的な表現は女性の尊厳への脅威になるというもの。
今まで、離れたところにありセットで議論されてこなかった「主体的に性を売りにすること」と「女性の性的解放」というフェミニズムの領域が、「WAP」で同時に議論されている。
ヒップホップの古典である男性が露骨に性的自慢する歌詞を、女性がラップすると、途端に批判されるのは、2020年時点にもなって色々な限界を感じる。
「性を売りにすること」は、主体的に本人の選択で行われていることと、搾取のもとで行われるものが混在している。「WAP」の場合は前者。
カーディはNetflixのリズム+フローで審査員を務めたとき、自分としてはセクシーさだけで売りたい訳ではなく、硬派な女性のラッパーに敬意を払っているが、世間からセクシーさを求められているからやっていると語っていた。
もはやカーディの過剰な女性性はメタな次元にいきつつあると思っている。
カーディもメーガンも、それぞれに政治的信条や医療関連のキャリアという目標を持った独立心のある女性で、その上で性的解放を誇示していることは家父長制で不道徳とされること(スラット・シェイミング)への反撥表現でもある。
スラット・シェイミングとは、セクシュアリティに関して期待される行動や外見に背いていると考えられる人たち、特に女性と少女を非難する行為である。
性的に許容される範囲から逸脱した女性たちへの非難であり、社会のなかで許容されうるよりも性的であるような行動、服装、欲望について警告することである。
スラット・シェイミング - Wikipedia
また、ヒット曲でここまで女性器に言及されるものは珍しいようで、産婦人科医師から「身体に興味を持つ文化的タッチポイントになる」という意見も出ている。
コロナと同時にBlack Lives Matter運動が起こる今、コロナで女性の社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求が危うくなっている。最近の国連の研究で、パンデミックは男女平等の進歩を数十年を希釈する可能性があると警告している。
このような状況下で、自分の身体の自由を祝福し、身体を所有するのは自分であるというメッセージと、政治家も参戦したジェンダー表現の議論は、「WAP」が単なるおバカエロなMVではない証拠だと思う。
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