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私は猫が好きです。
自由気ままなところが好きです。

我が家の猫は、
毎日お出迎えしてくれるわけじゃなくて、
たまに、いや、半分は
愛しの我が家の扉を開いても、しーんと静まりかえっている。
いつものクッションの上を見に行くと
「…え?もうそんな時間…?」
という具合で重たい瞼を開けきらず、
半開きの眼でこちらを睨みつける。

ご飯を食べたい時に食べ、
眠くなったら寝て、
人恋しくなったら夫か私の膝の上にのぼる。
撫でられて気持ちよければ喉を鳴らし、
うざったければ目で訴え、手や口で主張する。
猫の喉の音、前肢のふみふみ、甘えた声と一緒にくっつけてくるお尻。
その全てが幸せにさせてくれる。
人間にも鳴らせる喉があったらなぁ。
この喜びを伝えられるのに。

つい先日のこと。
お気に入りの猫じゃらしで遊んでやると
猫のテンションがフルマックスになった。
馬の如く颯爽と走る。風を切って走る。
狭いマンションの一室。カーブが多い。
体を斜めにして、障害物を避けながら、走る走る。
そしてピョーンと跳んだ!と思ったら、
着地したのは私の腿の上。
そしてその瞬間にその逞しい腿を、大地を踏み台にして、また高く跳んでいった。
こんなにも爪を出して地を蹴っていたとは、踏み台になるまで知らなんだ。

本当の自由

心から、自由に生きてほしいと思う。
健やかであることが幸せであると、心から思う。

でもたまに、ふと想像する。
出迎えてくれるときは、余程寂しかったのだろう。
一匹の時間に人恋しくなったら、どうしているんだろう。
広い空を見ながら、土の匂いを感じながら走ったら、もっと気持ちが良いだろう。
人間の手を介さないと、食事にもありつけない。そういうシステムの今。
水もそうだ。
トイレだってそうだ。

本当に自由気ままなのかな。

現実

外の世界には、現実がある。
危険が多くて、守れなくなってしまう現実。
それは自然界に似た危険だけじゃない。
人間がいるために起こる危険が怖い。
人間が私利私欲のために生んだ現実が、
犬や猫、動物たちを
"笑わない子"
にしている現実がある。
苦しめている現実がある。
短い命を生んでいる現実がある。

いい人のフリをして、その現実を見ないようにしている人もいる。
同罪だと思う。

いや、現実を見ることは、正直こわい。
できれば見たくない。
キレイなところだけ見て生きていたい。
だから私もその内の一人なのかもしれないと、思うことがある。
でもこのままじゃいけないんだと強く思うようになった。

うちの猫は、保護団体から譲り受けた。
ココから遠いところで捨てられているところを保護されたそうだ。
少なからず"外"を経験しているのだから、外に出たがるかと家に迎え入れた当初は警戒した。
でもその心配はまったく無用なほど、外に出たがらなかった。
飛び出し防止グッズは粗大ゴミになった。

窓から外を眺めたり、外の匂いがすると鼻をひくひくいわせたりしているが、その程度。
臆病な性格もあるのだとは思う。
でも、それなりに怖いことも経験したのかなと想像して、胸が痛む。
(親バカだなぁと思われるかな。)

でも本当に、
美化できない現実が、この世には溢れている。

守りたいもの

だから、本当の自由気ままな生き方を選ばせてあげることはできない。
申し訳なく思う。
その分、喉を大きく鳴らしたり、前肢をふみふみさせて甘えてくれる時間を大切にしたいし、その時が幸せなら、その時間を長くしてあげたい。
一匹にさせてしまう時間は、少しでも体を伸ばして寝られるように、良い具合の温度にしておくから。

ちょっと厄介な病気を抱えたあなた。
治療はどーんとこい!
だからその分働かせてね。

気楽に生きられる環境をちゃんと作っていくから。

迎え入れること

ペットを飼うことは、たまらなく愛おしく感じる時間が多い。数え切れないくらいたくさんある。
でもそれは、命を迎えること。
大きな責任の伴うこと。
命を迎えることは大変なことも多い。

小さな命。
言葉も通じない私たち。

だから色んなアンテナを張って、
守らなければならない。
いろんな大切なものをもらっている代わりに、
心地いい時間を、守らなければならない。

私たちにできることは何だろう。
今すぐできることは目の前にあるかもしれない。
でももっと広く見渡したら、もっと守れるもの、救える命があると思う。

言うのは簡単だから。
広く見ていくことを、現実と向き合うことを、
ここに誓う。
そうしたらもっと、
笑顔になれる瞬間が増えるはずだから。

そして、少しでもこの思いが、
言葉が届きますように。

coharu

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