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エッセイ:ラジオが持つ唯一無二の「孤独」という魅力

23時半になると、「あぁ、もう今日はこれから何もできずに1日が終わってしまうんだ」という感覚になる。

感覚だけでなく、実際にそうなのだ。「今日」というのは厳密に0時がきた時に終わるのではなく寝たらおしまい。そう考えると、まだ最低3時間はある訳で。

それを踏まえるとアニメや映画を見ることはできるはず。でも2時近くなってきた時に見るアニメって、どれだけ真剣にみていても「情報の多くを取りこぼしている感」を覚える。
要は集中力が散漫になっているんですね、本来は寝ているべき時間だから。

そうなるとアニメや映画に対して雀士がオンライン麻雀アプリ「天鳳」に挑むような、いわば「板の間に正座」的な心持ちで臨んでいる私の本意ではない。


でも現在、大学生は絶賛長期休み中。かくいう私も4時に寝て11時に起きる生活をしており、まだまだ夜は長い。そもそも眠くない。
たとえ眠かったとしても「3時に寝るのは何か嫌だった」と最悪のcreepy nutsと化した自分としては意地でも寝たくない。


そんな時に寄りかかれる壁として心強いのが、ラジオだ。上の曲もオールナイトニッポンから着想を得た作品らしいが、うなづける。

ラジオは、深夜に自室でぽつぽつ辛気臭く聞くのが似合う。そういう、限りなく内向きでたまらなく魅力的なメディアだ。


〇〇「内向き?そんなわけないよ、リスナーからお便り送れるじゃん!それに比べてアニメとか映画は、内容に干渉できずに観てるだけ。よっぽど内向きだよ?」

いやその意見も分かる。それは分かっているんだけど、むしろそれがラジオに限りなく内向きで辛気臭い魅力を与えている最大の要因でもあると個人的に感じている。


リスナー達に「おたより」という半端で偏った交流の場が与えられている、これこそがラジオの何よりの武器だ。

「自室でひとりぼっちの時より、集団の中でひとりぼっちの時の方が孤独を強く感じる」
これは最早言い尽くされてあるあるになってしまった言説だけど、そこまで広まるだけあってやはり的を得ている。


ラジオから感じる魅力も、この論理の応用で説明がつく。

例えばアニメ作品なら、画面に基本的に生きた人間が映ることはない。
多くの日本のアニメーション作品では秒間8枚の絵が絶え間なく動き続け、奇抜な演出を行わない限りは画面には人の手によって造られた嘘っこの世界が広がっている。

何百人というスタッフの熱意によって生み出され、声優さんが声を当てて萌えや感動を届ける。でもそこに広がっているのは100%嘘まみれの世界で、何ひとつ現実のものはない


アニメは敢えて「現実」に対して限りなくストイックに距離を取っているからこそ、「現実」にいる我々に強烈に響きうるのだ。



しかしラジオはどうか?FMのラジオだとリスナーと電話したりもするし、深夜ラジオであってもお便りを読むものがほとんど。

たとえお便りを読まないネットラジオを聴いていたとしても、コメント欄を全く見ないことなど不可能に近いだろう。お便りよりも尚更、より多くの他人に触れることとなる。

比較対象がアニメなので当たり前のことも敢えて指摘するが、パーソナリティーは実在の人間だ。当然話題は彼らの日常に及ぶことは避けられず、本編内でも「他人」を感じることは頻繁にある。


受け身っぽく見られがちなメディアであるのに、生きている「他人」をまざまざと見せつけられるという点から対外的な性質をも持つラジオは、逆説的に孤独を誘発するメディアと言えます。


でも、そういうところが良いんだよな〜と思うわけです。深夜に自分の部屋でひとり他人の人生に思いを馳せたり、笑わされたりするという行為全体に漂う陰気なムード



責任もって語れるほど詳しくはないので迂闊なこと言えませんが、初期のVtuberってそういうカルチャーだったんじゃないか?と想像したりする時もあります。

「僕だけが知ってるこの子」みたいな幻想を抱いている1000人くらいのオタクが集まって、コメントという「他」を感じさせる存在を見てみぬふりしながら狭い画面に映る可愛い子をちやほやする。

哀愁と侘び寂びを感じさせるオタク達の営みには、なんだかノスタルジーすら感じます。
今やライブ・イベント・CDなどなど…

もはやVtuberは「僕だけが知ってるあの子」では無くなっているけど、その時代の手探りなVの文化なら少し触れてみたかった気もします。実際にファンやってた方からしたら、そんな良いとこばかりじゃないんでしょうけどね。

様々なきっかけから歌い手やゲーム実況者を推していた女性オタクの大量の流れ込みで客層も変わって、今やVtuberは一大マーケット。
市場やそれを回す大人たちにとっては最高の変化が起きた訳ですが、ラジオのような「孤独」が失われた


Twitterでハッシュタグとか付けまくるオタクが属しがちなコンテンツにおける良い点である、「なんとなく共同体が出来ていく」流れを楽しむ方も沢山いるとは思う。

でもやっぱり、「ライブに行こう!」「配信の感想を誰かと共有しよう!」というのは私が思うラジオ的な魅力からはかけ離れたもの。


深夜にぼけーっとしながら、何の得にもならない話をニヤ…っとしながらひとりで聞く。こたつから眺める他人の人生は、常に切なさと孤独を伴う。

そうやって今日もラジオを聞いている、布団で背中を寒さに丸めながら。


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