アニメを批判するなら、もっとお前ら"魂"で来いよ
今日はまた目が座っている、藤吉なかのです。
アニメ大好き。アニメを信じています。
半年に1度のタイミング、レポートや課題に追われまくる時期に更新される「オタクの怒りをぶちまけろ」タイプの記事。
今回は「アニメを批判するワードチョイス」「実質〇〇構文」、そして「これからアニメをどう論じていくか」に至るまで、ひたすら意見を表明しています。
「原作愛がない」といって
アニメを批判するオタク、めちゃくちゃ嫌いなんですよね。
いきなりすみませんね…でも本当に最近、この手のオタクが多くて目に余るなぁ!!!!!
お前は一体、「何を」「誰に」向かってしたり顔で指摘しているんだ?と小一時間かけて問いただしたくなる。
何が「原作愛」なのか。そんな自分にだけ都合の良い錦の御旗を使うようじゃ、世も末だと思いませんか!
…あんまり最初からトップスピードで怒るのも、良くないですね。シンジくんの部屋着(↓)でも見て落ち着こうかな。
誤解のないようにまず言っておくと、僕は「好きなアニメを批判される事が苦手」だったり「嫌いなアニメが誉められている事が苦手」だったりするわけじゃありません。
むしろ僕は、そういう自分に対抗する立場を持ったオタクの意見を読むのがめちゃくちゃ好き。TLにキレのある批判をしてるオタクがいると、「あっぱれ!」と叫びたくなる。
何でかと言えば、他者が真剣に書いた批判を読む事で、改めてその作品の好きなところを再確認することが出来るからですね。
取り敢えず、自分の経験で例えてみますか。
実は……とタメるほどの事でもないですが、自分は割と『リコリス・リコイル』に肯定的な意見を持っている側なんですよ。
「1年でトップの傑作アニメだ!!」なんて思わないにしろ、毎週見る分にはワクワクして楽しめるアニメ作品!
『リコリコ』を見ているあの時間、素直に良い時間だったよな〜と感じています。
しかし本作を「戦闘美少女もの」として、はたまたSF(に準ずるお堅い作品)として見ていたオタクの中では、決して高い評価がなされている作品ではない印象です。
最後まで結局世界の何かが変わったわけでもない「なぁなぁ」とも取れる終わり方。この丸投げ感に拒否反応を示すオタクも多かったように思います。
世間一般的に本作は百合好きやアニメファン層を中心にウケまくっていましたが、インターネットには「リコリコなんていう作品を認めてたまるか!!!」というオタクの怒りが噴出している地域もあった。
オタクたちが口々に「リコリコのこういう適当な落とし方がダメだ」といったツイートをする中、自分は逆にその意見を読むことで『リコリコ』のどこが好きだったのかを掴むことができました。
恐らく自分は「若者が必死に命を張って戦っても、彼らを利用する巨大な"社会"は好転しない」というオチが、何とも物悲しくて良いな〜と思ったんですね。
クライマックスでたきなは、本当は大切な人間をこんな事件に巻き込んだ「社会」をも改正してしまいたかったけど、そんな事は一個人の力では不可能だ…と悟ったように感じられました。少なくとも僕の目からは。
犯罪者と闘うような一大スペクタクルを起こせる彼女達でも社会の全てを良い方向へ変える事は出来ない。なんとも残酷な結末です。
じゃあ彼女達のように溢れる才能や行動力もない我々オタクは、本当に何ひとつ成すことが出来ないよ!!ダメなやつはダメなまま!!どうすりゃいいんだこれから一体!?!?
でも大槻ケンヂ流に言うならば、「それでも生きていかざるをえない」んですよ。
せめて周りにあるわずかな「楽しさ」だけでも噛み締められるように生きていくしかない。
確かにこれは、さもしくて虚しく、意識の低い生き方ですよ。軟弱すぎる。
さもしい生き方だけど、それをアニメが…
アニメに登場する美少女が肯定してくれるのならば、頑張ろうと思える。
『リコリコ』は最後まで真の意味で、社会を変えられない「大衆向け」のアニメを貫いた。これがカッコよくない訳があるか?と。
…………とまぁこのように、誰かが書いた批判を読む事で「自分の"魂"がどうして震えたか」について理解が深まるんですね。
そして批判に触発されて書いたこの魂を込めた感想がオタクに広がって、誰かに少しでも影響を与えられればいいな〜と思うわけです。
批判を毛嫌いするオタクの気持ちも分かるけど、真剣な批判ってのは本当に大事!!筋道立てた論理的な批判は、先述したようにオタクへ再考の機会を与えますから。
また自分は、論理を飛び越して出力された素直な「俺はこれが嫌い!」という批判も素晴らしいと感じます。
全ての感情に、理論が付いてくるわけがない。
「理論は付いてこないけど、これは俺にとって不快なんだ!!!」と主張するのは勇気を要する行為です。
批判が毛嫌いされる今日のインターネットで自ら退路を絶ち、大きな大きなリスクを背負いながらも自分の気持ちを信じ切るその姿……"漢"だぜ。
一方で「原作愛がない」という旨の批判って、何一つ価値がないんですよね。ペラッペラで適当な言葉遊びに過ぎない。そこに魂がない。
「原作愛がない」という批判って、ちょっと批判するにしても工夫がなさすぎる。一体どのような基準によってスタッフ陣の愛を測ったんだお前は、と。
人の愛を正確に測れるようになったんなら、昨今話題のアキバにあるコンカフェにでも今すぐ行ってきなさい。
有償の公的な「サービス」を無償の私的な「愛情」と勘違いしている哀れなオタクを騙す女の子にアンタの「愛測定器」を突きつけてさ、オタクに現実を見せてやれよ。
超人バロム1じゃないんだから、感情をそんな簡単にメーター化できるわけが無いんですよ。
また原作が改変されていた事を「愛がない」と言うのなら、お門違いも良いところでしょう。漫画という静止画を映像に、または小説における文章を映像にする為には多大な労力がかかるはずです。
アニメとは異なる媒体で表現された原作のエッセンスを、アニメでこれ以上なく抽出して再現する為には改変が必要不可欠ですよ。
制作するにあたって目指している方針も、関わっているスタッフの数や必要となるセクションの数も、全く他のメディア(原作)とは異なる。
故に、「改変がされていた事」のみを取り沙汰して批判するのは余りに稚拙と言い切れます。
ただ恐らく「原作愛がない」と言っているオタクって、改変の有無を論じてるわけではないんですよね……
「このアニメはなんだか気に入らねぇなぁ」という気持ちだけはありながらも、ただ「嫌い」と言うんじゃあ格好がつかないから、彼らは最もらしく「原作愛」なんて言葉を持ち出す。
「嫌いだな」と感じたなら、素直に嫌いと言えばいいんです。「嫌い」と感じた上でその理由が掴めたのなら、丁寧に少しずつ言葉にしていけばいいんですよ。
「嫌い」と素直にいうことによって反感を買うかもしれないけど、そんな些事で反感を持つ奴は無視しておけば良い。
お前というオタクの心から出てきた、素直な感情にケチをつける権利はこの世の誰にもない!
「嫌い」を精一杯頭を捻って論理的に語ったところで、強い先輩オタクから論理の穴を突かれて恥ずかしい思いをするかもしれない。
自分では「完璧な論理だ!」と思ったとしても、往往にして素人の考える批評には穴があるものですから。
論理の破綻を指摘されるというのは、実際めちゃくちゃキツイものがあります。自分も先日寄稿した同人誌の原稿について意見をもらった時は、とてもありがたいと思いながらも「恥ずかしい〜!!!!!」で頭の中いっぱいになりました。
でもやっぱり、その論理には価値があるから誇るべきなんだよ。頭からケツまで何もかもが間違っているかもしれないけどもさ。
それは自分なりに脳をフル回転して出力した、「真剣な間違い」だったんだから恥じるべきじゃない!
改めて考えてみましょうよ。「原作愛がない」とか偉そうに語る輩は、どうだ?
素直に「嫌い」と言うのでもなく、自分なりに考えたお手製の意見を語るのでもなく、手垢びっしりの使い古された言葉でアニメを批判する輩。
批判というのはスタンド能力よろしく精神の表出であるべきなんです。その表出が手垢のつきまくった中身のないフレーズだなんて、あんまりにもダサすぎるだろ!
「原作愛がない」というフレーズさえ使えば、気に入らないアニメを簡単に批判できます。いわば「原作愛」というカードは、アニメ批判のフリーパス。
大して中身のない発言なのに、それっぽいことを言っているように見える魔法のパスポートですよ。スタッフロールの有名な名前を羅列しただけの無味無臭なアニメ感想ツイートする人とかと一緒。
これは誰もが通る道ではあるけど、出来るだけ早く卒業するべきなんです。極限まで素直な感想か、自分なりに頭を捻った感想であるべき。
しかもその上、単に「嫌い」だとストレートに発信した際に寄せられる事が想像できる「お前の単なる"気持ち"は心にしまっておいてよ!楽しんでる人を邪魔しないでよ!」という批判。
↑に対しては、「この発言は単なる気持ちじゃなくて論理的な評価ですから」と逃げることができるわけです。こ〜〜〜〜の、いくじなしが!!!!!!!!
これは本当〜〜〜〜〜〜に許してはならない。信じられない程に姑息な手口ですよ。
アニメを見てモヤモヤしたから、自分のマイナスな感情はなんとかして発散したい。だけど誰かにとっての悪人になりうるリスクを背負う覚悟もなければ、時間と手間をかけて嫌いな作品に向き合う真摯さすらない。
だから逃げ道が担保された「原作愛」というフレーズをコピペして、誰にも自分が侵されない場所から片手間で批判するんです。
そういう「投石」みたいな攻撃の仕方は本当にやめた方が良い!!タチが悪すぎる!!
安全圏からの批判かどうかなんて、案外すぐに判別できるものです。
憂さ晴らしに定型文を使ってコスパよく批判してスッキリしてやろうなんていう、自慰行為さながらの批判には人の心を動かす"魂"がない。
お前らは本当にそういう姿勢でオタクをやる事が正しいと思ってるのか?
これは最早アニメに限らない。漫画や小説、なんでもいいけど…自分の安全を担保してからじゃないと、作品を貶すことも出来ないのか?
そんなナメたどっち付かずの態度でアニメを批判しているようじゃ、いずれお前はどこにも居場所がなくなるぞ!!!!!!!!!この中途半端な宿なしのコウモリ野郎!!!!!!!!!!!!!!!!!!こらーーーーーーーーーーッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!、!
そういえば「コウモリ野郎」という話題で思い出したんですが、最近Twitterで見たオタクの仕草がちょっとどうなんだ?と思うものだったんですよね。
誰もが嫌いな言い回しなのにインターネットからいつまで経ってもなくならないことでお馴染みの「実質〇〇」構文もめ〜っちゃ嫌なんですけど、今回見たのはそれと違う振る舞い。
でも「実質〇〇」構文にも不満が溜まってるんで、ここで発散しておきましょうか。
↑素晴らしいツイートだと思う
だいたい"実質"ってなんなんだ?作品の本質ってなんなんだ?そんなのあるのか?作品の本質が似ているから"実質"という言葉を使っているんだろうけど、ひとつ限りの本質なんてあるのか?
ひとつ限りの本質が無いからこそ、作品をどう捉えるか思考するのが批評の醍醐味なのではないだろうか。
それこそが「批評」が「考察」とは一線を画すものだと証明できる、最大の良いところなんじゃないだろうか。
仮にひとつ限りの本質ではなく、その方が感じた本質が似ているとして「実質〇〇」発言をしたとしても、あまりにも不用意で暴力的な結びつけ方だと思う。
以前に僕の好きな女児アニメについて、バズしか狙っていない過剰表現を詰め込んだ感想ツイートをしてまんまとウケたアカウントがありましたけど。
自分はああいった感想ツイートって「毛穴の汚れがゴッソリ……!」みたいな広告と、品性のレベルではどっこいどっこいだと思います。
バズしか頭になくなってしまったアカウントは、あらゆる作品の感想で「実質〇〇!!」と言ってオタクを誘蛾灯のごとく呼び寄せることでしか満足できないんですね。哀れなり。
「こういうツイートなんてギャグみたいなもんじゃ〜ん」と言う方もいるかもしれないけどもね。ギャグなのだとしたらスベってるよ。
言う側の「俺はこの作品も知ってるぜ」という自己顕示欲が透けて見えるギャグなんて笑えるわけがない。
そしてそれをバズ狙いの垢ではない、「俺ぁアニメ批評家です」と襟を正しているオタクが使うのはどうなんだろうか?
自分のような素人が言うのもなんだけれど、言葉を使うことをアイデンティティにしてるのなら、もっと言葉を丁寧に選んだ方がいいんじゃないでしょうか。
閑話休題。結構前に見たオタクのヤな仕草に戻りましょう。
言葉をボヤかさないと一発で特定されそうなので、怖い!出来る限り遠回しな例えで表現したいと思います。
とあるクールのアニメに対してそのオタクの方は、「このアニメは今期の〇〇枠」(「〇〇」は、アニメとは異なる特定の芸術ジャンルにおいて不動の権威とされている作品など)と語っていたんですね。
これに対して僕は「許せない!!」とは思わないまでも、ちょっと首を傾げてしまった。怒りを覚えないまでも、その姿勢に疑問を浮かべざるを得なかった…とでも言いましょうか。
いや、言いたいことは理解できますよ。クールにおいてそのアニメは、自分が「教養」として指定したい程にお気に入りのアニメなんだ〜ということでしょう。
いや、さ………………………
そんな既成の権威を借りてアニメを価値づけするなよ!?!?!?!?
アニメはアニメとしてただあり、ありのままで素晴らしい芸術でしょう。
アニメはそのまま「アニメ」として評価するべきだし、そこで敢えて既にハイカルチャーとなっている他の芸術の威を借りる必要は一ミリもないはず。
そこで他芸術分野の既に権威化している作品を挙げて、「このアニメは凄い!」って言うの虚しくないですか?
萩尾望都の漫画が「これはもはや漫画というよりも小説だ」などと評されがちだった…という、何ともモヤモヤするお話(真偽不明)を思い出します。
僕は日本のアニメ(和製アニメーション)が世界で1番面白いと信じています。
作風では対極にあるような山田尚子も尾石達也も、ありのままの姿で許容できてしまうような、アニメーションの懐の深さが好きだ。
『トットちゃん』から『生徒会役員共』まで、至高の時代表現から低俗で最高のギャグまで、等しく受け入れる土壌は素晴らしい。
そんな広い土壌を持つ日本のアニメを楽しむ側である私たちの使命は、ひとつです。
『リズと青い鳥』『傷物語』のような途轍もない芸術性を持った作品だけでなく、多くの忘れられゆく大衆娯楽としてのTVアニメ作品を、「アニメ」としてありのままに評価すること。
ときめきとワクワクをくれる娯楽としてのアニメを他芸術分野に引き込んで論じるのではなく、「アニメ」の文脈としてそこにある芸術性を見出して論じること。
これが今1番必要なことですよ。
知ったような顔して「これは実質〇〇だから教養ですよー」なんて、そこの貴方がヘラヘラ言ってるうちは、いつまでもアニメが正しく評価される日が来ることはない。
アニメは小説や絵画といった芸術分野に寄りかからなくても、立派にひとつのジャンルとして成立してますよ。むしろ映画や小説、絵画よりも完成されたジャンルだと断言したいくらい。
なぁ、アニメを語る俺たちがアニメに自信を持たないで…誰がアニメを正当に評価するんだ?
最近お話しさせていただいた先輩アニメオタクの方がとても映画に詳しかったので、僕は素直に「〇〇さんアニメはもちろんですけど、映画もめちゃ詳しいですよね!」と言ったんですね。
そしたらその方は「僕はシネフィルを倒すために映画を見てるんで。アニメが1番面白いです。」(うろ覚え)と言い切ったんですよ。
こんなカッコいいことあるか?他の権威に頼ってアニメを上げるような卑屈さがなくて素晴らしい。僕はそのオタクのことをめちゃくちゃ尊敬しています。
卑屈になって他の芸術分野に頼るなんて、やっぱりどうかと思う。アニメはアニメでひとり立ちしている、最高の芸術分野だから!
こうやってアニメを信じることで、いずれ必ず「アニメ」を「アニメ」文脈のままに評価することがスタンダードになっていくはずなんです。
どんなに短くても良いから今期アニメの感想をnoteやはてなブログにまとめてみるのも、いいかもしれない。
書いた貴方の魂は僕が絶対に読みます。DMとかでリンク送ってください。
貴方の真摯なアニメ感想が、未来のアニメ受容を形作っていくのかもしれない!!!!今これを読んでいる貴方から始めてみましょう。
もっともっと、アニメの力を信じよう!!!!
たくさんアニメを見て、思うままに定型文じゃない感想を書こう!!!!!
お前ら、もっとアニメを信じろーーーーーーーーーーー!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
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