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22の旅 〜鈍行で行く!!真夏の房総半島ひとり旅編〜

その週は、全国的な猛暑が予報されていた。

2022年8月2日(火)、あと数日で22歳になる僕は兼ねてから興味のあった青春18きっぷを国分寺で購入した。時刻は朝の8時過ぎ。そのまま通勤者でごった返す中央線快速上りに立ちながら、御茶ノ水まで耐えた。

さて、僕はどこに向かっているのか。

答えは千葉だ。

内房線と外房線を乗り継いで房総半島一周の旅を密かに企画していたのだ。ホテルは前日の夜に予約した東浪見(とらみ)駅最寄りのドミトリーで価格は3,300円ほど。一泊二日でプラプラと途中下車の旅を楽しむという魂胆である。

初めての一人旅、そして初めての18きっぷに心弾ませながら僕は総武線で千葉駅まで行き、内房線に乗り換えた。そもそも浅草以東に行くことが初めてだったため、小岩の辺りで既にテンションは高くなっていたが、内房線の車両がボックス席であることを知った時、僕のテンションはいよいよ最高レベルに達した。

千葉駅から乗った内房線の車内は結構空いていて穏やかな雰囲気だった。
シートに差し込む光が割と強い!
田園風景が印象的

ボックス席の広い窓から見る景色はある種の映像作品だと僕は思う。

シートまで強く差し込む日を受けて、帽子を持ってこなかったことをやや後悔しながら趣味の短歌をポツポツと詠む。以前友人とドライブで来た袖ヶ浦を横目に列車はズンズンと進んでいく。

時々、自分が海に囲まれた半島の上にいることを思い出し不思議な気分になる。

木更津で乗り換えて館山の方まで行こうと思っていたのだが、次の電車が来るまで30分以上もかかるので15分ほど歩いて木更津のガストで少し早めのランチを取ることにした。

ここに来てまでガストかよ、と思わずに美味しく食べられるのが僕の数少ない才能の一つであると自負している。しかし、ここのガストは一味違う。なんと店内からいくつもの漁船が停留しているのが見えるのだ。東京湾の潮風に揺れる漁船を眺めながら、僕は破格の安さのランチセットをぱくついていた。ドリンクバーでジュースを大量に飲み、汗で流れ出た水分を補給したら木更津駅に戻り内房線に乗車する。

ガストから見える立派な漁船たち。堤防に描かれた可愛いイラストも気になった。

程なくして学生や地元の人たちがなだれ込むように乗ってきた。おばあちゃんに席を譲り、お礼を言われてはにかむ中学生たちを見てローカル線の旅の醍醐味を味わった。彼らにとってはごく普通の日常に過ぎないだろうが、僕にとってはその一瞬一瞬が眩しく輝いて目に映るのだ。僕の日常も非日常として面白がってくれる人がいるだろうか、などと感慨に耽っていると隣に座っていた夫婦が討論を始めた。

耳をすませば、妻は護憲派で夫は改憲派らしい。話は憲法9条からアメリカと日本の関係性、特定秘密保護法について二つのイデオロギーがぶつかり合っていた。朝まで生テレビの様相を呈し始めた内房線下りであるが、その舌戦は突然休止符が打たれる。

海が見えたのだ。

それは、今まで見てきた東京湾のそれではない。夫婦がテーマに挙げたアメリカにまで続く太平洋の美しい姿だった。14時過ぎの日の光を反射してキラキラひかる海原を、身を乗り出して目に焼き付けていた。海外などで見られるエメラルドグリーンの濃い色をした海も綺麗だが、白っぽい淡い色をした房総の海が好きになった。とても繊細な海だった。

しばらく電車に揺られ、15時ごろに館山駅に降り立った。館山という地名だけは知っていたが、意外にも駅舎や駅周りがモナコあたりを彷彿とさせるような建築様式が採用されていて、ヤシの木が等間隔に植わっている。こんなにも異国情緒あふれる場所だったとは…。

また、駅から海水浴場はすぐで僕は寄せては戻る波を何枚も写真に収めた。少し離れたところで家族連れがビーチを占拠している。僕も小さい頃は家族と毎年海に来ていたことを思い出しながら、子供たちの楽しそうな歓声に耳を傾けていた。

房総の淡い色の波は僕のピュアな部分をくすぐった。
波の様子はずっと見ていられるような気がしたが、暑くて10分もいなかった。

そんな感傷的な滞在も、猛暑は許してくれない。ぐっしょりと汗をかいた僕は直射日光から逃れるように入ったお土産店でピーナッツアイスを購入した。思い返せばピーナッツのフレーバーのアイスなど食べたことがないことに気づく。ピーナッツクリームを想像していたが、それとはちょっと違う。ナッツの粉が練り込まれているので舌に、きなこのようなざらつきを感じられる。しっかりしたコクがあるのに後味がスッキリしていて、くどくない。それは無脂肪乳を多く使っているからだ。僕はこの点がこのアイスのミソと見て、納得しながら熱い体にかきこんでいった。非常に美味しい。

バニラビーンズのようにピーナッツの細かい粒子が練り込まれている。熱った体に非常にしみる。

さて、館山からはいよいよ今夜泊まるドミトリーのある「東浪見駅」(とらみ)に向かう。気のせいかもしれないが、千葉はこのように読み方が難解な地名が多くないだろうか?正直に言うと僕は東浪見の読み方を覚えるまでかなりの時間を要した。

東浪見は外房線の駅で太平洋を東に抱き、九十九里浜の南端に位置する。ちなみに無人駅

だ。しばらく電車に揺られ続けて、18時前に到着した僕をホームで出迎えてくれたのがこの不気味極まりないカカシである。

一体誰が設置したのだろうか。目的はどうやら「火の用心」らしいが。

絶対に夜間に出くわしたくないというのが第一印象だった。乗客から苦情が入っていても、なんら不思議ではないがそれが当たり前に存在するこのローカル駅になんとも言えない愛着が湧いてくる。

Googleマップを頼りに田舎道を歩いてドミトリーに向かった。全てが未知の町ながら強烈な懐かしさを覚えることに不思議な気分になる。

ドミトリーにつくと、ちょうどオーナーらしき人が玄関にいて笑顔で出迎えてくれた。

施設内はキッチンダイニングとトイレ・シャワー室が共用になっていて、カプセルホテルのようになっている寝室がいくつか存在する構造だ。ベッドを区切る壁などは全て木製で、防音性はゼロに等しいが綺麗で安心した。僕は荷物を置いて外を散策することにした。

外に出る際にダイニングに顔を出すと僕よりも年下であろう男の子が飯を貪っていた。目つきがやたら鋭い。挨拶を交わした後、何か交流を図らねばと思った僕は勇気を出して話しかけた。

「観光ですか?」

「サーブやりに来ました」

サーブ?はて、給仕のことかな?彼はこのドミトリーのオーナーの甥っ子か何かで、夏の間だけこうして手伝いに来ているのか…と思案している僕を怪訝な顔で見返して

「サーフィンです」

と彼は再びはっきりと答えた。それはそうだろう。黒く日焼けしていて髪も脱色していて、いかにもサーファーじゃないか。しかもここは海に近くてサーファー御用達の施設であることは知っていたはずだ。

「アッ、なるほど…」

物分かりの悪さを披露してしまったことを猛烈に悔やみながら、僕は逃げるようにしてダイニングを去った。あまりにも接したことのない人種すぎて少々気が動転してしまう。

はっきり言って怖い。ドミトリーの利用者があんな人ばかりだったらどうしよう…と本気で不安になりながら九十九里浜へ向かった。

九十九里浜には遊泳禁止と記された赤い旗がいくつも連なっていて、その向こう側で多くのサーファーが波乗りに興じていた。サーファーがルールを守ってどうする、ルールを律儀に守るお利口なサーファーはサーファーじゃない、と自分に言い聞かせて海の写真や夕焼けの写真をいくつか撮った。草が風に揺れる音や海の匂いが印象的だった。

日が沈んでも息が詰まりそうな暑さは続く。すっかり暗くなった道を歩くも、時刻はまだ20時代だった。まだあのドミトリーには帰りたくない…。その一心で無駄にあたりを散歩して疲れた後に、「再会」と言う中華料理屋に入った。ビールとアジフライ定食を注文したのだがそれが当たりで、アジフライのうまさとボリュームでこの上ない満足感に浸った。

肉厚なアジがサックサクの衣をまとっている。ボリューム満点で美味しかった。

酒を入れたことで少々強気になった僕は勇ましくドミトリーに帰ったものの、ダイニング等の共用スペースに人はいなかった。ホッとしてすぐにシャワーに入って歯を磨き、床についた。寝室には僕の他に二人居るようだった。そのうち一人はおじさんなのか、いびきを響かせていた。僕は枕元のライトをつけて明日の予定を組む。明日は8時ごろの電車に乗って銚子まで行き、電車を乗り換えて水戸まで行ってやろうと計画した。なかなか無謀な挑戦である。

ウトウトするうちに何やら足が痒い気がしたが疲れていたこともあり、そのまま眠りについた。これが後に厄介なことになる。

翌朝、僕はまたもや逃げるようにドミトリーを去った。同室の人たちはいなかったが荷物が残っていたので朝の波にでも乗りに行ったのだろう。海の近くでなければドミトリーも悪くないだろうが、サーファーと共に一夜を明かすのは一人旅初心者の僕にはまだ早すぎた。

例の不気味カカシに見送られ外房線に乗り込み、大網に向かう。またもやボックス席を確保し幸せな気分で揺られる中、車内にはクラシックが流れていて爽やかな景色と相まって心が洗われるようだった。外房線はなんて粋な演出をするのだろうとウットリするも、途中からただ怪しげなおっさんが爆音でラジオを聞いていただけであることに気付いて戦慄した。もう車内にクラシックなど流れてはいない。代わりに何かの中継音声が車両の隅々にまで響き渡っている。これもローカル線あるあるだろうか…。

大網駅で東金線に乗り換え成東駅に向かう。そこから総武本線に乗って銚子に行くという昨夜決めたルートを、そつなく進んでいく。普段の旅行では珍道中ばかりになってしまう僕が、トラブルの一つもないことに軽い感動を覚える。

さて、銚子に到着した。銚子駅はJ R総武線から、私鉄の銚子電鉄に乗ることができる。調子を観光するのなら、銚子電鉄を利用した方が良いだろうが、今回はあくまでも18きっぷの旅であるため僕は大人しく銚子駅で下車した。

くどいようだが、とにかく暑い。熱中症アラートが全国的に発令されているだけあるなあと思い、駅近くの案内板を見てみると写真博物館が存在することを知る。おまけにその近くに松尾芭蕉の句碑があると書いてある。どちら非常に興味がある。行くしかない!

急に元気になった僕はいそいそと歩いて行ったが、写真博物館は休館していた。普通に辛い。汗でびっしょりになった体に鞭を打って松尾芭蕉の句碑が安置されている浄国寺に向かった。しかしその石碑っていうのもなかなかクセが強かった。読めないのである。くずし字だからとか古語だからとかいう問題ではない。石が風化していて彫刻された文字が判別できないのだ。しかも、松尾芭蕉が実際にこの寺に訪れたわけではないらしい。だとしたらこのデカい石はなんなのだ。

「徒労」、この二文字が僕の頭をグルグルと回った。

泣きそうになりつつ、電車の中で調べていた有名な「鈴女」という海鮮丼の店に向かう。途中で野良猫に出くわし少し心が穏やかになるが滝のように流れるような汗は止まることを知らない。時刻は10:50。11時から開店なのでちょうどいいぞと思い店につくと、看板には11:30からと記されていた。ネットの情報が全てでないことこの時ほど痛感した瞬間は今までになかった。30分もこの炎天下では待てない。

致し方ないので近くのもう開いている店に入ってマグロ丼を注文した。店には僕しかいなかった。美味しかったし何より感じの良い大将だったので満足だ。今までの苦労の甲斐があったと言えよう。

マグロの臭みが全くなくて、とにかく柔らかかった。小鉢が色々ついてきて嬉しかった。

しかし僕は密かに焦っていた。水戸に行くとすれば一刻も早く食べ終わって、駅まで走らないと間に合わないのだ。銚子駅は一時間に一本のペースでしか電車が出ないから、できれば逃したくない…。悶々と悩む僕の目に一枚のポスターが飛び込んできた。千葉県が出している房総半島の旅行を促すポスターだ。
そうだ、自分は今回房総半島を一周するために来たんじゃないか。茨城に行っている場合ではない!成田とか佐原あたりに行こう!と味噌汁を啜りながら決意した。

こうして一本電車を見送った僕は道の駅ならぬ、まちの駅なる「銚子セレクト市場」に行った。そこでも野良猫を見かけたので撫でくりまわした。

余談だが、人のオスは可愛くない声なのに猫はオスだろうと平気で甲高い鳴き声でニャーニャー言うから可愛い。フワフワなタマタマをプリプリさせながら擦り寄ってくる猫はもうタマらない。

「去勢…いつするの?」と話しかけたが、彼は気持ちよさそうに目を閉じて喉を鳴らすだけだった。

なんだかんだ人懐こい野良猫

セレクト市場でお菓子を買って駅に戻ったが、成田に行く電車が来るまで30分以上かかる。おまけに駅の待合室は銚子の部活生でごった返していた。日に焼けた少年たちが掃いて捨てるほど並んでいて、皆電車を待っていた。少子化なんて嘘なのではないかと疲労した脳で沸々と考える。

なんとか電車には座れたものの、溜まりに溜まった疲労や異常な暑さへの恐怖で僕はそのまま帰宅することを決意した。まだ15時にもなっていなかったと思う。もうボーッと流れる景色を見ているだけでいい。もう外に出て汗水垂らして歩き回るのはごめんだ。総武線に乗って千葉駅まで行き、申し訳程度に駅ナカを物色しそのまま東京駅に向かって中央線に乗り換えた。東京駅は中央線の始発駅なのでシートに座れるのが良い。

車窓を流れる景色が見慣れたものに移り変わり、国分寺に着いた時けばホッとした。色々なことが起こり、計画もクソもない結末に終わった初めての18きっぷの旅だったが自分の世界を広げられた点では大きな満足感を覚えた。

帰宅後ふくらはぎがやたらと痒くて見てみると、めちゃくちゃダニに食われていた。まあこれも18きっぷにおける貧乏旅の旅情だろうと無理やり納得し、ムヒを塗りたくった。

22歳の千葉の夏はこうして幕を閉じた。

僕は、なぜJ Rが「青春18きっぷ」と銘打って鈍行の旅を若者に推奨している理由が今回の旅でなんとなくわかった。人生は鈍行列車の旅だから、がその理由だ。なんとも手垢がこびりついていそうなフレーズなのだが、言い得て妙なのである。

僕は今大学四年生だが企業からの内定が出ていないどころかロクに就活もしていない。周囲の友人の多くが内定の一つや二つ取得しているような状況で僕は旅に出た。

旅に出る時、人は多かれ少なかれその旅程を組むが果たしてその通りに物事は進んでくれるだろうか。一日だったらまだしも、二日、三日と続けば思いも寄らないハプニングが起こったり、想像もしていなかった景色を見ることになるだろう。

鈍行は駅を飛ばしたりせず、どんな小さな駅にも必ず停車し、しかし確実に前進していく。

一本電車を乗りそびれてしまっても次の電車が来るまで待っていれば良いし、一つの路線にずっと乗っているわけでもない。そして、ゆっくりだからこそ見られる景色もある。

僕は自分の人生と重ね合わせながら今回の旅を満喫していた。

焦らなくても良いのだと、今見える景色を楽しめばいいのだと、鈍行列車に揺られながら。

房総の風に吹かれながら。


銚子にて



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