ひかりが歩いていくのを見送って|ひび

昨年の夏はある日突然やってきた。太陽の光がするどく銀色になって、照らされるもの全ての生命力がみなぎってるかのように輝きはじめた。

勤めていた会社の最寄り駅を一歩出たときに、夏が突然そこにいたので思わず高い高い空とぎらつくビル群を写真に収めた。それをインスタに次のような文言とともに投稿している。

「急に夏がきた日。いつの間にか記憶の中で曖昧になってるこんな季節の変わり目をちゃんと覚えていたい。

夏はなにもかも彩度が高くて、輝いていて、いのちが満ちているので本当に好きです。いつもの景色も3割増素敵に見える(後略)」

↑元画像が電子のブラックホールに消えたため、インスタのスクショにて失礼いたします。

日付は7月27日になっている。

そのひとつ前の投稿は4月21日で、そのころ住んでいた家の最寄り駅で撮った夜桜だった。

この年、春がどうやって夏になっていったのか私は覚えていない。だから「急に夏が来た」なんだろうけど。なんだかさびしい。

一応、写真はそれなりに撮ってはいて、誰と遊んだとか、どこに取材に行っていたとかは分かるけれど、それはその日を思い出せるということでしかなく、日々、ひかりが春から夏に向かって歩いていくのを見ることができなかった。

今年の春は人生最高に暇だった。仕事もなく、コロナの影響で人とも会わず、寝て、YouTubeで動画を観て、時々家事を手伝い、校正の勉強をしているうちに階段を三段飛ばしで降りる速さで一日が終わっていく。

文字に起こすと、思った以上にどうしようもない日々のなか、時々、ひかりが夏に向かって歩いていくのを見送った。季節はひかりが歩くのとともに変わっていく。

隣の家のおじさんから菜の花をもらい、スーパーの帰りにかつての通学路で桜を見た。

土手でたんぽぽの綿毛を見ては4月が終わったと思い、同じ日につつじの花がけたたましく咲いているのを見てもう5月やんと思わずつぶやいた。実際は、4月14日のことだけど、ひかりにカレンダーは関係ない。

4月29日には、近所の雑草が生い茂った空き地に落ちる影の濃さと、空の青さの彩度の高さに「夏の足音が遠くで聞こえた」と日記とインスタに書いている。

5月も半ばになってからは、庭のアジサイのつぼみがはっきりと形になり、梅の木に実がなって梅雨の気配を感じた。

カレンダーで見るより、夏はずっと早くからそこにある。

ひかりが、春から夏に向かって歩いていくとき、数が増えるから夏の光は強いのか、それともアイドルのように春とは違う衣装をまとっているから、まばゆく見える気がするのかはわからない。(後者だとしたら、着替えが早いひかりと遅いひかりがいて時々喧嘩になっているのかもしれない。)

来年は、今年より忙しい春になると思うけれど(そうでないと困る)、ひかりが歩いているのを時々は立ち止まって見送りたい。

追記:これを書いているのは6月1日。数日前から空気がじめじめして、雲も灰色のことが多く、アジサイもバッチリ咲いて梅雨がそこまで来ているのを感じています。

この前、駅前を歩いていたら「はじめてのチュウ!チュウ!」と歌いながら自転車に乗った男子高校生4人がそばを駆け抜けて、通りの曲がり角の鯛焼き屋では女子高生3人が店前のベンチで鯛焼きをほおばっていました。まぶしい。

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